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 ―――  土曜日の夜、もう一度焼肉を食べたいという槙田先生に誘われて前回行った焼肉店とは違う店に行った。病院から自宅方面とは反対に歩いていくと高架下にレトロな飲み屋街があり、その中に最近開店したという小さな焼肉店があるらしい。和室の個室に通され、床の間の掛け軸や生け花が小洒落ていた。 「やっぱ一人で食べると味気なかったんだよね」  前回わたしが注文したものを覚えていたのか、ハラミとタン塩とヒレは真っ先に頼んでくれた。肉を焼くのも手際がよく、焼けたらまずはわたしの小皿に取り分けてくれる。槙田先生は大きな口で肉を含み、風味が残っているうちにタレが付いた白ご飯をかき込んだ。「んまい」と頬張る姿が幸せそうで、子どものようで、それを見てわたしも同じようにハラミをひと口でいただく。炭の香ばしさとたれの甘辛さに頬がじーんと沁みる。 「本当に美味そうに食うよね、橘先生は」  食事が美味しい、というのは健康な証拠だと重症患者を診たあとはいつも思う。昼間に診察した食道がんの患者のことを考えた。 「今日、ステージⅡの食道がんの男の人が来たんですよ」 「食道かー……。大変だな、患者も先生も」 「ご飯を食べる度に喉がつっかえるとか沁みるとか気にしてたら、美味しいものも美味しく食べられないから辛いですよね、本人は」 「看病するほうもキツイよねぇ」 「うちの父と同じ歳くらいの人だったから、自分の親だったら……とか考えちゃいますね」  ついしんみりしてしまったわたしを、槙田先生は「ストップ」と手を挙げた。 「仕事の話はナシにしよう。今日は俺、橘先生のことを聞きたいの」 「今、話してるじゃないですか」 「風来坊の弟さんのこととか」  本当にどうでもいいことでも、よく覚えているなと感心を通り越して呆れた。今度は私が網に肉を載せる。
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