9

14/14

547人が本棚に入れています
本棚に追加
/201ページ
 ―――  ステージⅡの食道がんと診断した患者が、治療前の検査をすべて終わらせて診察室に入ってきた。 「心電図、肺活量ともに問題ありませんね。歯医者さんには……行かれたようですね。虫歯もなし、クリーニングもOK、と」  患者の男性――高坂さんは静かに頷いた。すごく落ち着いた様子で説明はしやすいが、逆に意見どころか質問もされないので心配になるほどだった。今日の付き添いは奥さんではなく、わたしと同じ年頃の女性だった。娘さんとのことだ。わたしは娘さんのほうに目線を向け、治療の内容をもう一度説明した。 「ご家族からもお話を聞かれているかと思いますが、高坂さんの腫瘍を手術で切除する前に術前化学療法といって三種類の抗がん剤を点滴で入れていただきます」  娘さんは小さな声で「ドセタキセル、シスプラチン、フルオロウラシル」と呟いた。薬の名前を言ったっけ、と不思議に思いながら「そうです」と返した。患者が医師より薬や病気に詳しいというのはよくあることだ。きっと色々調べてきたのだろう。 「一回二週間の入院を二クール。それが終わったら効果があったかどうかを検査します」 「あの、手術なんですが」  今度ははっきりとした、透き通るような声で言った。わたしは娘さんに今一度向き直る。センターパートのショートカットがお洒落で、顔立ちは素朴でありながらひとつひとつのパーツが左右対称に整った、綺麗な人だ。 「実は執刀をお願いしたい先生がいるのですが、指名することは可能でしょうか?」 「ええと……うちの病院で執刀医の指名はできなくて……患者さんの病状に合わせて各専門医で話し合って決めますので」 「食道の専門医がこの病院にいらっしゃると聞きました。槙田先生という方なんですが」 「……え……」  わたしの頭の中でさまざまな記憶が駆け巡った。確証はない。でも直感が「そうだ」と告げている。 「槙田陽太先生に、父の手術をお願いしたいのです」
/201ページ

最初のコメントを投稿しよう!

547人が本棚に入れています
本棚に追加