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 *** 「お疲れ様でしたー」  終業後、更衣室から出てきた遠野くんを捕まえた。先に帰り支度を済ませて出口でこっそり待ち伏せしていたのだ。陰からいきなり現れてコートを引っ張ったわたしに、遠野くんはまるで幽霊でも見たかのような青い顔と奇声で驚いた。 「ななななんですかっ! 橘先生!? 驚かさないで下さいよ!」  シッ、と人差し指を立てて黙らせる。 「遠野くんに聞きたいことがあるの。途中まで一緒に帰っていい?」  遠野くんは困惑しながら頷き、わたしたちは病院の裏口からこそこそと連れ立って外に出た。隠れるのは槙田先生に見つかりたくないからだった。キョロキョロと周りを警戒しているわたしを、遠野くんは不思議そうに見ていた。 「聞きたいことってなんですか?」 「遠野くんと槙田先生が同じ大学って前に言ってたでしょ。それで教授から槙田先生のこと聞いたって。あの話の続きを聞きたいの」 「なんでですか?」 「槙田先生がどうして手術をしないのかとか、大学病院ではどうだったかとか……あの人、謎だらけだから」  遠野くんはウーンと首を傾げる。考えている顔も可愛い(性格はアレだけど)。 「でも僕も詳しく聞いたわけじゃないですから。ただ、槙田先生は大学病院ではすごく腕がいいって評判だったって話で」  それには驚かなかった。なんとなくそんな気はしていたからだ。わたしが知りたいのは、それほど評判だった槙田先生がなぜ手術をしなくなったのかということだ。 「槙田先生の手術記録、いくつか見せてもらったんですよ。細部まですっごく丁寧に書かれてて、『え、まじでこんなのこんな短時間でやったんすか』ってくらい、ビックリしちゃって。だから今の病院ではオペ入ってないの、もったいないなーって」 「理由を聞いた?」 「いえ、でも外科医がオペできなくなる理由なんてイップスじゃないですか?」  研修室でシミュレーションをしていた槙田先生を思い出して、わたしもその可能性が一番高いと考えていた。でも当時の槙田先生は手術が楽しかったと言っていた。奥さんを顧みる暇もないくらい。治そうと思わなかったのだろうか。EDと同じで簡単に治るものじゃないかもしれないが、あれほど頑なに「手術はしない」と言い張るのはなぜなのだろう。  遠野くんは横断歩道の前であっさり別れようとする。
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