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「切り替えはできたはずなのに、やっぱり余計なこと考えちゃってたと思う。普段なら絶対やらないところで気管支動脈に傷を付けた。細い分枝に気付かなかったんだ。ブワーッて出血して助手が必死で圧迫止血してんのに、俺は固まって頭のどっかで『このまま血ィ止まんなかったら、コイツ死ぬのかな』って一瞬考えちゃったんだよね」 「……」 「血流の温存はできたけど、全部終わって冷静になった時、一瞬でも『死んでもいいんじゃねぇか』って思った自分がスゲー怖くて。いつか患者を殺すんじゃないかって、それからオペ室入れなくなった。もともと俺は人の命を救いたいって志を持って医者になったんじゃねぇから、オペさえ完璧にすれば患者の意志とか関わりとかどうでもいいって奴だったんだ。患者からは好かれないタイプだったね。それなのに些細なことに動揺して取柄のオペもできなくなって、そのうち大学病院に居辛くなって転院した」  それでも槙田先生は医師を辞めるという選択はしなかった。昔は患者に冷たい高慢な医師だったかもしれない。今も口コミで「感じが悪い」と書かれるほど愛想はないけど、山本先生が回診を怠った時、誰よりも患者のために怒っていたのは槙田先生だった。もしかしたら、そんな過去があったから、自分にはオペができないから、せめて患者には向かい合おうという槙田先生なりの自戒だったのかもしれない。 「その人は今は……?」 「肝臓に転移して亡くなった」  槙田先生は立ったまま聞いていたわたしの手を引いて、隣に座らせた。膝の上でぎゅっと握る。わたしより汗ばんだ手だった。
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