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 遠野くんになるべく難易度の低い手術の担当を代わってくれないかと願い出ると、「え~~~~~」と小学生のように嘆いた。  槙田先生のイップスの原因が離婚や手術中の不測の事態から引き起こされた「自信の喪失」ならば、自信を取り戻せばいいんじゃないかとわたしは単純に考えた。そのためのシチュエーションを作るために、実際に手術室に入るところから始めなければならない。いくら槙田先生が優秀だったとはいえ、いきなり難易度の高い手術は逆効果かもしれないので、緊急性のない簡単な手術から慣れてもらうのがいいだろう。だからわたしは遠野くんや若手の先生が担当予定の手術を片っ端からやらせて欲しいとお願いした。 「なんで簡単なやつばっかりなんですか? 橘先生ならもっと難しいのがいいんじゃないですか?」 「何言ってるのよ、むしろこれから遠野くんが難しい手術もどんどん入っていかないと。遠野くんには期待してるんだから!」  そう持ち上げると満更でもなさそうに渋々了承してくれるのだった。  一方、槙田先生は話を進めていくわたしに未だ戸惑っている。カルテや3D画像を見て一緒に手術の手順を確認するところまでは普通にできる。だが、いざ手術着に着替えると「本当に入るの?」と不安そうに訊ねるのだ。 「いきなり切れって言いませんから、とりあえず手術室の雰囲気には慣れましょう。好きな音楽とかあればブルートゥース繋げますよ」 「音楽はかけない派だなぁ」  手術室の扉を開けると、槙田先生は途端にそわそわする。照明灯、ユニット、シーリングペンダント。およそ三年ぶりになる無機質な手術室の雰囲気に緊張しているようだった。  最初の数回はわたしの手術に助手として入るだけ。血や臓器、器具を見ても問題がなく、できそうなら縫合をしてもらう、といった簡単なところから始まった。手術中にパニックになったらどうしようかという心配もなくはなかったが、槙田先生はあれだけビクビクしていたにも関わらず、始まってみると意外と平気そうに立っていた。わたしの手やモニターをじっと見つめてくる目に、わたしの方が緊張したくらいだ。 「槙田先生、大丈夫そうですね」 「ホラ、手術は録画でずっと見てきたから、見るのは大丈夫なのよ。別に血が怖いわけじゃないし」  事情を知らない麻酔科医や看護師たちが恐る恐る訊ねる。 「槙田先生、オペ室入るの初めてじゃないですか……?」 「いやぁ、俺、実はイップスで手術できなかったのよ。でもそろそろ練習しようかなって思ってさ」  今まで周囲と距離を置いてまで隠してきたくせに、拍子抜けするくらいあっけらかんと打ち明けた。 「今の俺、若手の先生たちより下手くそだと思うから、色々教えてね。あと俺デリケートだからお手柔らかにね」  手術室が笑い声で和やかな空気に包まれる。イップスの原因を探られて槙田先生が嫌な思いをしたりしないだろうかという危惧もあったが、どうやらわたしの心配はただの杞憂だったようだ。槙田先生が一緒に笑っていることに何より安堵した。
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