12

3/12

547人が本棚に入れています
本棚に追加
/201ページ
 槙田先生は静かに困惑して、後頭部をポリポリ掻いた。目線を上げたり下げたり、キョロキョロ泳がせたあと、 「なんでそんなこと聞くのか分かんないけど、少なくとも俺にとってはいい女だし、いい医師だよ?」  無難な答えだけど、槙田先生がそう思ってくれるなら今はそれでいいことにする。槙田先生のお腹に軽くパンチを入れた。 「槙田先生には負けません」 「可愛げがないとこも可愛げだね」  それからも槙田先生は術式を選ばず執刀医として積極的に手術に参加している。途中で交代することもあれば、最初から最後まですることもある。勘が戻ってくると自信も再び戻ってくる。カンファレンスでのプレゼンも堂々としているし、術後の回診も懇切丁寧で患者からの受けもいいらしい(ちょっとそこは面白くない)。ほぼ完全に克服したと言ってもいいくらい、リハビリは順調だった。  皐月さんときちんと話をしたことで蟠りはなくなったのか、それをわたしが全部を知ることはできないけれど、時々病室の前で話をする二人の姿を見かけることがあった。あれほど皐月さんを邪険にしておいて、ふっ、と笑った顔を見せると、その度に「やっぱり話し合えなんて言わなければよかった」と後悔をして、自分の心の狭さを責めるのだった。 「心頭滅却すれば火もまた涼し」  無意識に声に出していたらしく、ちょうどトイレに入ってきた福沢さんに聞かれてしまった。慌てて品行方正な才色兼備に擬態化する。 「なんですか、今の~。煩悩と戦ってるんですか?」 「え、ええ……そんなところ」 「橘先生でもそんなのあるんですねぇ」  思えばわたしは昔から自分はそこそこレベルが高いと自惚れてきた。自分にない物を持っている人を見て羨ましいと思うことはあっても、妬んだり卑下することはなかった。それがこの歳になってそんな感情を生々しく覚えてしまって、自分が自分じゃないような、そこはかとない気持ち悪さを感じている。メイクを整え、髪を結び直し、気合いを入れるように息を吐きながら衣服を直す。大丈夫、わたしは今日も美しい。天才。そう言い聞かせて崩れかけた自尊心を立て直した。  
/201ページ

最初のコメントを投稿しよう!

547人が本棚に入れています
本棚に追加