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 スタッフで患者の情報や術式の確認を終え、仰々しいライトの下で麻酔が効いて深い眠りについた高坂さんを囲んだ。わたしの叱咤が効いたのかどうかは不明だが、やっぱり手術をしようと思ったからには何かしら刺激されたのだろう。 「えー、じゃあ胸部食道がんに対する食道切除術と胃管再建術を始めます」  開始時点でこんなに緊張感のある手術は初めてかもしれない。大きな手術だからというより、さっきまでビビリまくっていた槙田先生が執刀するからというのが一番大きい。クズだのアホだの喚き散らかしておきながら、やっぱりわたしが執刀した方が……と、急に不安になる。けれども槙田先生が右胸の皮膚を切開した瞬間、不思議と懸念が吹き飛んだ。  槙田先生とは何度か一緒に手術に入ったが、その度に思っていたのが槙田先生の切開は美しいということ。左手の指先でテンションをかけ、強すぎず弱すぎない圧力で電気メスを入れる。組織の切離は力加減ひとつで臓器や血管を傷付けてしまうのだけど、ビビッていてもさすが槙田先生というべきか、なんとも滑らかで正確なメス捌きだった。既に槙田先生の額には汗が滲んでいたが、眼光にまだ怯えはない。筋肉、骨膜、胸膜と切開し、術野を広げるため肺の空気を抜いたところで槙田先生はフー、と息を吐いた。遠野くんが忙しなく槙田先生の汗を拭う。ふと頬が赤いことに気付いたのか、どうしたんですかと心配そうに訊ねた。 「ああ、遠野先生いなかったんだっけ。橘先生に叩かれたんだよ。俺が弱気になっちゃったから」 「橘先生って、ぶつんですか!?」 「スゲー痛かった。怖くてチビるかと思った」 「チビればよかったんですよ」  槙田先生が弱気になって逃げようとしたことにはまだ腹を立てている。鼻息を荒くして冷たく言い放ったら、室内に笑いが起こってピリピリした空気が少し和らいだ。
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