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 それからも時折手が止まることはあったが、指先が震えることはなく、注意深く血管や神経の走行を確認しながら食道を切り離していった。食道は他の臓器と密接しているし、周辺に動脈もたくさんある。それぞれの器官を栄養する血管を損傷すれば、のちに重大な合併症を引き起こす確率が高くなるし、かといって怖がって取り除くべきものを取り切れなければすぐ転移する。しかも血管には個体差があって、ないはずの血管があったり、あるはずの血管がなかったりするので、事前にある程度構造を覚えておかなければならない。槙田先生は慎重に血管の分岐を探り当てる。険しい表情のわりに操作は正確なので、ものすごく予習をしていたのが分かる。誰も知らないところで、見ていないところで、この人はどれほどシミュレーションしたのだろうと思うと、手術中なのに少しだけ鼻がつん、と痛くなった。 「上部食道剥離」  時間はかかったが、越えられなかった壁をまた一つ、乗り越えた。わたしを見る槙田先生の目は、初めて何かを成し遂げた時の子どものように輝いていた。そんな彼を絶賛する代わりに、わたしは大きく頷く。  だが、一つ切り抜けたからといって手術が終わるわけじゃない。まだこれから中部、下部、と同じようにリンパ節を郭清し、血管を切って食道を確実に切除しなければならない。
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