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 いつ掃除したっけ、玄関に余計な靴は出てなかったっけ、洗濯物はちゃんと片付けたっけ、そんなことをぐるぐる考えながらエレベーターで運ばれる。大丈夫、食器は食洗器にかけてから家を出たし、今日はゴミの日だったから出勤する時に捨てた。多少埃は落ちてるかもしれないけど、さすがにそこは目を瞑ってもらおう。  エレベーターは八階で止まり、角部屋に向かう。槙田先生が家に来るのは汚部屋を見られて以来。恋人として入るのは初めて。緊張しすぎて鍵を挿す手が震えた。 「たぶん散らかってないと思います」 「散らかってても今更驚かないしね」  けれども扉が閉まって電気を点けるより先に、抱き締められた。真っ暗な玄関で待ちきれなかったと言わんばかりにキスをする。どうしてこの人はいつもこう唐突なのか。心の準備くらいさせて欲しい。そう言うと、 「エレベーターの中でできたでしょ?」  なんて意地の悪いことを言う。暗闇の中でしたり顔の槙田先生を容易に思い浮かべることができる。 「もうさ、ずっと我慢してたんだよ」  噛みつかれるような強いキスに早くも脱力してしまい、かろうじて靴を脱げたかと思えば、そのまま冷たいフローリングの玄関に倒れ込んだ。もう部屋まで移動する余裕もない。槙田先生の唇は頬、耳、首と移動して、大きな武骨な手が服越しに体を滑る。間近で感じる息遣いがいつもより熱くて、だけどわたしの体を撫でる手つきは優しい。  もっとムードを作って欲しいとか、仕事終わりの汗が、とかゴチャゴチャ考えていた頭の中はだんだんぼんやりしてきて、直接肌に触れられた瞬間にはもう溺れていた。いつもどこか遠慮がちで不安げだった槙田先生も、ただただわたしに夢中になってくれているのが伝わる。重なってくる感触に気付いた時、わたしは嬉しさのあまり自ら槙田先生の首に両腕を回して引き寄せた。  ただ手を繋ぐだけでも、体を触るだけでも充分幸せを感じることはできるけど、やっぱり直接彼の熱を受け止められるのはひとしおだ。切なげな声で「楓子」と呼ばれる度に息が苦しくなる。暗闇に目が慣れて、ままならない呼吸と朧な意識の中で優しく笑う槙田先生の顔を見た。彼の唇が動いたのは分かったけれど、何を言ったのかは聞き取れずに、わたしはもっと深いところまで沈んでいった。
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