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「陽太?」
背後から俺を覗き込んだのは、まさかの元嫁、皐月である。V字ネックのセーターとショートボブは皐月の長い首を際立たせる。本人もそれを自覚しているのか長年髪型を変えたことはない。だから一瞬で皐月だと分かったのだ。
「えっ、ビックリしたぁ。なにしてんの?」
「こっちの台詞よ。一人なの?」
「まあね」
皐月はごく自然に俺の隣に腰掛けた。俺たちの様子を見ていたらしい店員が、カフェラテを皐月に差し出しながら馴れ馴れしく訊ねた。
「皐月さん、その方は?」
完全に俺が皐月の恋人だと思っているらしい店員の声色には冷やかししかない。しかし皐月は、
「元夫よ」
と、なんの臆面も躊躇もなく言うのである。おとなしい顔をして皐月はなかなか肝が据わっている。むしろ気まずく思っているのは店員の方だろう。
「えっ、ご結婚、されてたんですか」と慌てふためいている。
「とっくに別れてるけどね」
それ以上聞いてくれるなと言わんばかりににこやかに返して、店員を遠ざけた。俺はそんな皐月を頼もしく思いながら、やっぱり怖ぇ女だなとエスプレッソをすすった。
「あの店員の女の子、親しいの?」
「一緒に働いてるのよ、ここで」
「え? ここで? 皐月が?」
「ええ、ここがオープンする時、スタッフ募集してたから、応募したら採用されたの。ああ、ちなみに今はもう退勤時間だから」
皐月に対して世間知らずの箱入り娘、というイメージを持っていた俺は、彼女が自ら動いて仕事をしているということに静かに驚いた。
「父がね、何かと看病に追われがちなわたしに、自分のために生活しろって言ってくれて。やりたいことがあるなら応援するって言ってくれたの。それまで融通の利く事務職してたけど、思い切って転職しちゃった」
そう言って笑う皐月の笑顔は今まで見たことがないくらい、明るかった。
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