槙田陽太 1

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 皐月との別れには正直良い思い出はない。彼女が男を作ったことにも、その男が食道がんになって俺が手術をしたことも、それが原因でイップスになったことも、どんな修行かと思った。手術ができなかったあいだは随分彼女を恨んだものだ。  皐月のお父さんが食道がんで入院したのは八ヶ月前。どういうつもりか俺を執刀医に指名してきて、無神経にも程があるだろうと腹が立った。……とはいえ、それがあったからイップスを克服できて皐月との蟠りもなくなったわけなのだが。  今となってはすべてが上手く収まったから、今こうして話をしていても冷静でいられるし、素直に「よかったね」と言ってあげられるのだ。 「やりたいことってなに?」 「カフェを開きたいの」 「かふぇ!」 「意外でしょ? 実はずっと夢だったの。知らなかったでしょう」 「うん、知らなかった、教えてくれなかったし」 「聞いてもくれなかったわよね?」  意地悪い笑顔で言われる。 「いつか自分のお店を開きたくって、あなたが手術に明け暮れる中で、コーヒーやココアのこと勉強したわ。色んなお店にも行って」  そこでふと頭に浮かんだことを聞いてみた。 「まさかその時出会った男がきみの相手だった、なんてパターンはないよね」 「そのまさかよ」  自分から聞いておいてまあまあのダメージを受けてしまった。 「すごく趣味があったの。最初は本当に、ただの良いお友達だったわ。でも彼、食品の卸売り業してたから詳しくて、色々教えてもらってるうちに、ね」  自分が抱いている夢さえ知らずに仕事に没頭するパートナーと、自分の夢を応援してくれる身近な男。そりゃ後者を選んでも仕方ないよなぁ、と今更ながら我が身を振り返る。エスプレッソが急に苦く感じた。
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