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楓子ちゃんの担当患者を診ていると、彼女がどれだけ慕われているかよく分かる。「橘先生は体調不良なので」と言うと、ほとんどの患者が「橘先生とお話したかった」と残念がるのだ。同業者としてはなんだか悔しい気持ちもあるが、彼女が周りから好かれているのだと実感すると恋人としてはやはり嬉しいものだ。どうやら高坂さん――皐月のお父さんもその一人のようで。
「よろしくお願いします。あれ、今日は槙田先生なのかい」
診察室に入ってきた高坂さんは俺の顔を見るなりそう言って、周りをきょろきょろ見渡した。
「橘先生、ちょっと体調が優れなくて」
「そうか、寂しいね。橘先生と話してると元気出るからね。……あ、きみに不満があるわけじゃないんだよ」
「分かってますよ」
しばらくして皐月が診察室に現れた。定期検診が近いと聞かされてはいたが、一緒に来るとは思わなかった。間もない再会に驚いているのは俺だけのようで、皐月は「やっぱり今日は、槙田先生なのね」と淡々と言った。
「やっぱりって?」
「さっき、橘先生を見たわ。すぐそこのレストランの前を通りかかったら、窓際の席で橘先生がいたから」
楓子ちゃんが早退したのは、一時間ほど前だ。なぜまだ家に帰っていないのかと疑問を抱いたところ、
「挨拶しようかと思ったけど、男の人といたからやめたわ」
「えっ、男?」
「……ああ、別に妙な雰囲気はなかったから大丈夫だと思うわよ。お友達じゃないかしら」
脳みそを回転させて楓子ちゃん関係の男に誰かいたかと記憶を探る。思い当たるのは遠野くんともう一人。顔は思い出せないが、おでん屋で一瞬だけ出くわした奴。
「………今のところ数値に特に異常はないです」
「そうかい、よかった」
「内視鏡しましょうかね。お食事はされてないですよね?」
「ええ」
「じゃあ、ちょっと用意するんで隣の診察室にどうぞ」
高坂さんが部屋を出ていったあと、皐月が小声で言った。
「余計なこと言っちゃったかしら」
「うん? いいよ、別に」
「昼休みにでも、様子見に行ってみたら? 話し込んでるみたいだったから、まだいるかも」
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