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今夜は特に風が強くて冷たい。ビュウビュウと音を立てながら草木や電線が揺れているのを見ると外に出るのが辛い。ダウンコートのジッパーを首元ギリギリまで閉めてファーの付いたフードを被っていざエントランスを出ると槙田先生がいた。こんなに突き刺すように寒いのに槙田先生はワイシャツに薄手のブルゾンという格好で、見ているだけで凍えそうだ。
「イヌイット?」
「寒がりなんです」
「そんなモッコモコのファーがついたダウンコート着てんのに。だったらスカートじゃなくてズボンにしたら。いまむらの裏起毛のやつ」
それはわたしが愛用している部屋着だ。帰ってすぐに着替えられるようにいつもカーテンレールに吊るしてある。それも見られていたのかともはや感心した。
「これはお洒落なんです、ほっといてください」
「ダウンコート被って背中丸めてたらお洒落も台無しだよ。どっから見てもババアじゃん」
「自分よりジジイの男にババアって言われたくないです」
昼間は助けてもらって少し見直したのに、やっぱり癇に障る。お礼を言わなくちゃと思っていてもタイミングが掴めず、憎まれ口しか出てこなかった。
「そうやっていつも言いたいこと言えばいいのに」
「患者と槙田先生は違いますから」
「言うときゃ言わないと、ダラダラ文句言われるの嫌でしょ。そのせいで時間が押して診察間に合わなくなったら最悪だし」
「まあ、それは……はあ」
「あの時、俺が言わないと確実に間に合ってなかったね。ハイ、なんて言うの?」
「……ドーモ、ありがとーございましたァ」
わたしが本当は何が言いたいかを見透かして、誘導してくれたのだ。そこまでしてもらっておいて小学生のような謝り方しかできない自分はどうかと思う。すると槙田先生は俯いて肩を震わせたかと思えば、勢いよく「ぶはっ」と吹き出した。顔をくしゃくしゃにして声を出して笑っている。初めて見る顔だった。
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