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やけくそ気味に残りのうどんにふんだんに七味唐辛子をふりかけ、麺をすする。かき揚げをだし汁に浸して衣が柔らかくなった頃に大きく噛り付いた。いつもならお上品に食べるところだが、槙田先生の前で猫を被るだけ馬鹿らしい。既に食べ終わっている槙田先生はさっさと帰ればいいものを、そんなわたしを若干引いているような顔で見守っている。だし汁まで一滴残らず飲み切ってどんぶり鉢をテーブルに置いた時、幾分楽しげに「俺も今度、わかめうどんにしよ」と独り言を言っていた。
わたしたちが最後の客だったのか、店を出るなり暖簾がしまわれた。腕時計を見ると十時を回っている。そりゃ早く片付けたいわけだ。
帰宅ラッシュがとっくに過ぎたこの時間、オフィスビルやアパレルショップも閉まってひと気は少なく、大通りなのに静かだ。四車線の道路にはちらほらとしか車は通らない。
「ごちそうさま。悪いね、払ってもらっちゃって」
うどん代は槙田先生が小銭を探しているうちに、わたしがまとめて電子決済した。返すよ、とは言われたが、改めて徴収するほどたいした額じゃなかったので断った。たぶん槙田先生が先に会計をしていたらわたしが奢られていたと思う。これ以上槙田先生に借りを作りたくなかっただけだ。
わたしたちはいっこうに収まらない強風の中、歩道橋を上がっていく。
「いい食べっぷりだったね。恋人の前でもああやって食うの?」
「恋人の前では品よく食べますよ。槙田先生に可愛い子ぶってもしょうがないんで」
「じゃあ、俺しか知らない橘先生ってわけだ」
「気持ち悪いこと言わないで下さい」
「気持ち悪いだって! 清々しいくらいムカつくね」
ヒールのあるブーツは踏ん張りがきかないので横風に叩きつけられると足元がフラついた。支えようか、と手を差し伸べられるけど、それが冗談であることくらいお見通し。けっこうです、とあしらったら合いの手のように「可愛くねー」と返ってくるのだった。
本当なら今頃は和樹と寄りを戻してウキウキしているはずだった。可愛くないとかムカつくとか言ってくる職場の人じゃなく、心から可愛いと言ってくれる恋人と腕を組んで歩きたいのに。街路樹に申し訳程度に飾られているイルミネーションが、かえって虚しくさせる。
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