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 *** 「それでは、お世話になりました。ありがとうございました」 「お大事に」  初期胃がんの手術をした鈴木さんが退院した。お世辞にも紳士とは言い難い人だったが、槙田先生が注意してくれた日を境に驚くほど礼儀正しくなり、退院までわたしにも福沢さんにもセクハラな発言をすることはなかった。槙田先生がもしあの時助けてくれなかったら、わたしは鈴木さんを「苦手な患者」とみなしたまま、こうして気持ち良く退院する姿を見送ることができなかっただろう。  エントランスの自動ドアが閉まり、タクシーに乗り込む鈴木さんを見送ると、福沢さんが背伸びをした。 「さ~、鈴木さんが退院したばっかりで、また入院患者ですね」 「肝臓がんの人だっけ。確か糖尿病の治療もしてたわ」 「すごい、橘先生! 担当患者じゃない人のことも覚えてるんですね!」  たいしたことないのよ、と得意げに髪を靡かせてみる。 「川上先生なんか軟膏ひとつ処方するのも遅いんですよォ。山本先生は相変わらず医局に張り付いてるし、槙田先生は何やってるのか分からないし、みんな橘先生を見習ってほしいです。では!」  福沢さんは忙しそうに小走りで病棟へ戻っていった。すぐ後ろで低い声が言う。 「その患者の情報は、さっきたまたまカルテ見たからだろ。なーにが『たいしたことないのよ』だよ」  不満げな面持ちの槙田先生が小さく舌打ちをする。確かに担当患者以外の患者まで情報を把握しているわけじゃない。鈴木さんの見送りに出る直前、槙田先生が見ていたカルテを横から盗み見していただけだ。 「せこい女だなァ、そうやって自分の株上げてくんだから」 「別にそのくらい、いいじゃないですか。小さい男ですね」 「つーか、あの子、俺がいるの絶対気付いてなかったよね」  機嫌が悪い理由はそこらしい。さっきからずっと一緒にいるのに福沢さんに空気のような扱いを受けたのが地味にショックだったようだ。
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