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 ***  お酒を呑んでも仕事に響かないよう無意識にセーブできるのはわたしの長所の一つだと思う。翌日はいつも通り五時に目が覚めて、メイクも身だしなみもばっちり決めて出勤した。早朝から始まるカンファレンスにも遅れず出席。入院担当患者の容体も把握済みだ。 「先生、点滴打ち出してから三日経つんですけど、全然痛みが引かないんです」 「血液検査の結果見たらね、数値は良くなってるけど炎症範囲が広がってましたから、ちょっとお薬変えますね。気分が悪くなるようでしたら、看護師に知らせて下さい」 「橘先生! 昨日の内視鏡、全然苦しくなかったわァ! ありがとうね!」 「それはよかったです!」  患者にはニコニコと愛想良く、丁寧に対応するのを心掛けている。「患者を不安にさせない」とか「信頼を得る」とか理由はたくさんあるけれど、「どこで誰が見ているか分からない」からだ。医師の評判というのはけっこう噂されるものだ。入院患者、常連患者、その知り合い、と少しずつ広がり、「あの先生は感じがいい」「この先生は嫌な感じ」と知らぬ間にイメージが植え付けられていく。  そもそも「いい医師」の基準は患者側と医師側とは差異があって、患者の言う「いい医師」は、話を聞いてくれて治療に融通を利かせて薬を好きなだけくれる医師のことが多い。腕がいいのは前提だが、正直素人にはその医師の腕が本当にいいのかどうかは見抜けない。だから患者への対応が丁寧なほど好かれる。一度きりの診察でも、長期の治療でも、どうせ関わるなら「いい先生だった」と思われたい(そしていい評判を広げて欲しい)。だからどんなに合わない患者がいても、ニコニコ丁寧に、を心掛けているのだ。  じゃあ、お前は医術の腕が悪いのかと聞かれればそれは違う。逆に医師の言う「いい医師」は的確な判断・治療ができる医師のことだ。いくら患者からの評判が良くても知識が乏しくて杜撰な治療しかできないようなら他の医師や看護師からの信頼はなくなる。チームワークが必要な手術で気持ちよく執刀するためにも、医師からも評価されなくちゃいけない。だから時間がある時は論文を読み、難しい症例があれば治療法を探して走り回り、日々腕を磨き続けている。 「橘先生、三〇二号室の橋本さん、術後の経過も順調です」 「あ、橘センセー、昨日のオペ素晴らしかったよ」  せやろ、せやろ? もっと褒めて!  医師からも患者からも「いい先生」と呼ばれる医師、  それがわたし!
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