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「橘先生、こんにちは!」  診察室に入って、テキパキと籠に上着とバッグを入れて丸椅子に腰かけたのは、三十三歳の女性。微笑みが可愛らしい明るい人だが、悪性の胃がんを患っている。茶色の長い髪は実はウィッグなのだ。抗がん剤の副作用で自身の髪の毛はほとんど抜けてしまったから。  彼女のがんは発見した時には既に胃切除を免れない状態だった。リンパ節への転移もある。ただ、遠隔転移はなかったので先に抗がん剤治療をして、目に見えないがん細胞を消したり腫瘍を小さくしてから手術をすることになっている。 「ごめんなさいね、諏訪さん。お待たせして」 「ネットしてたらあっという間だから。スマホって便利ですよね」  この日の外来はいつもより混んでいたというのもあるが、わたしは一人に対して診察時間を長めに取るので、患者を待たせてしまうことがある。待ちきれずに怒って帰る患者もいれば、根気よく待ってくれる患者もいる。諏訪さんは後者だ。体調が悪くてイライラすることもあるだろうに、診察室に入る時は必ず笑顔を見せてくれる。一日のうちに何時間も病院に費やしたと思うと診察くらいは丁寧にしてあげたいと、わたしは考えているのだ。  一方、そんなことを知る由もなくバインダーを片手に座っている遠野くんは仏頂面だ。諏訪さんの手術には遠野くんも入ってもらう予定なので、担当医として同席させた。最初ははりきってくれていたのに、わたしの診察が長いと知るとあからさまに退屈そうな顔をし始めたのだった。そんな彼に心証が悪いながらも診察を続ける。 「抗がん剤治療は終わりましたけど、体調はどうですか?」 「副作用はだいぶ落ち着きました」 「そうね、今日のスカート可愛いもの」 「さすが橘先生! 今日は体調が良かったから、一番のお気に入りを選んだの」  どんなファッション誌を読んでるの、スカートはどこで買ったの、そんな雑談を交えながらカルテを開いた。 「さっき撮ってもらったCT見たら、随分小さくなってるんですよ。これなら手術ができそうです」  二ヵ月前に撮ったものと比較しながらCT画像を並べる。抗がん剤の効果で小さくなった腫瘍に、諏訪さんはホッと安堵の笑みをこぼした。 胃の調子が悪いのだと初めてここに来た二ヵ月前、がんが見つかったと伝えた時の落ち込みようは見ているこっちが辛くなるほどだった。まだ三十三歳でこれからという時にそんなものが見つかったら誰だって絶望する。それでも手術ができる可能性を信じて、辛い抗がん剤治療も前向きに頑張ってきた。それを知っているから、治療が次の段階に進めることにわたしもホッとしていた。 「ご家族の方はご一緒ですか? のちほど手術のご説明をさせていただきますので、三番のお部屋でお待ちください」  遠野くんに諏訪さんをカウンセリング室に案内するよう任せたが、遠野くんは終始眉間に皺を寄せたままだった。
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