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 そして翌朝、午前九時から諏訪さんの手術は始まった。 手術内容は、腹腔鏡での周辺のリンパ節を含めた胃の全摘出と食道と腸を繋ぐ再建。執刀医はわたし、第一助手は遠野くん。遠野くんは生意気ではあるけれど怖気付かないところは頼もしい。わたしが手術室に入った時にはいつも通り準備を終えて予習をしていた。 「スキルス胃がんに対する胃全摘出術及びルーワイ法再建術を始めます」  麻酔が効いて深い眠りの中にいる諏訪さんの顔をちらりと見、入刀する。腹部に数か所切り込みを入れ、そこから鉗子やカメラを差し込んでモニターを見ながら操作するのだ。腹腔鏡での大きな手術は開腹手術に比べて難易度は上がるし時間もかかるけれど、合併症のリスクや術後の回復スピード、諏訪さんの年齢などを考えたら断然、腹腔鏡手術のほうが体にはいい。  それにわたしは手術は上手いほうだと自負している。もともと自信があるところに槙田先生からも「腕を見込んでいる」とお墨付きをもらったのだから、わたしをなめくさっている遠野くんに無様な手術は見せるわけにいかなかった。いつもより手先と目の神経を集中させて、腹直筋鞘、腹膜と切開していく。 「気腹」  腹腔内に空気を入れ、術野が広がったところでわたしは手を止めた。 「えっ」  わたしの声に室内にいた全員がモニターを凝視する。 「……腹膜播種ですね」  諏訪さんの腹膜に、小さな白い粒が無数付着しているのが確認できた。腹膜播種は名前の通り、がん細胞が種を撒いたように腹膜に付着すること――つまり、転移である。  腹膜播種はある程度大きくならないとCTや超音波には写らない。だから手術の時に初めて見つかるケースは珍しくない。けれども、諏訪さんの場合は化学療法後の審査腹腔鏡検査で腹膜播種は陰性だったはずだ。  化学療法は効かなかった? それとも最後の抗がん剤から手術までのあいだで転移した? 暫くモニターを見ながら呆然としてしまったが、どちらにせよこのまま手術を続けることはできない。腹膜播種は手術では取りきれないのだ。わたしは諏訪さんの腹腔内から鉗子を出した。 「遠野くん、閉じて」 「分かりました」  手術室に入ってから僅か三十分。諏訪さんの手術は終わった。  別室で待っている家族に説明しなければならない。こんなことは初めてじゃない。今までだって開腹したものの手術ができなかったケースはあった。冷静に、毅然として伝えないと。手術室を出て一人になった瞬間、「先生に似合う服を探してあげる」と笑っていた諏訪さんを思い出して足がよろけた。
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