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 わたしは確固たる目的があって医師になったわけじゃない。仕事を頑張るのも、いつかどこからか縁があるかもしれないから、少しでも好印象を持たれたいという不純な動機だった。でも槙田先生に「患者に優しくするのは自分のためだろう」と指摘され、培った経験とプライドは時に患者をおびやかすのだと気付かされたから、自分のためじゃなくて本気で患者のために向き合おうと改心したつもりだった。  けれども、実は何ひとつ変われていないのではないか。遠野くんに外来診察を見学させたのも、手術に張り切ったのも、結局「慕われているわたし」「できるわたし」を見せたかっただけかもしれない。――恥ずかしい。耳まで赤いのが自分でも分かる。 「ちょっと落ち着こうか」  眠たそうな低い声でそう割ってきたのは、槙田先生だった。いつからそこにいたのか、槙田先生は全部お見通しみたいな涼しい顔で、遠野くんとわたしを引き離した。 「きみらは互いに自分の意見がある。でもぶつけ合っても解決しないでしょ。……遠野先生、ちょっと口が過ぎるね。きみは優秀だと聞いてるけど、その高慢さは危険だよ。橘先生はたくさん経験を積んでる。きみとは踏んでる場数が違うんだ。もっと敬いなさい。橘先生は――指導医として感情的にならないように」 「は、い」  遠野くんは槙田先生の言葉にすら返事をせず、そっぽを向いている。これ以上いると惨めになりそうで、わたしは研修室をあとにした。泣きそうになった顔を誰にも見られたくなかった。
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