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 キッチンに立つことに慣れていなかったら、レンジの使い方も分からないかもしれない(わたしもたまに分からなくなる)。というのは、言わないでおこう。  遥は深く長い溜息をついて、ようやくコーヒーに口を付けた。 「今、旦那さんは家で何してんの?」 「さあ。ゲームしてビール飲んでうたた寝でもしてるんじゃない? 昨日の今日だから話したくなくて、ラインで『出掛ける』って伝えたの。既読スルー」 「毎日四人分のご飯をちゃんと作ってるだけでエライもんよ。旦那さん、自分がしたことないから大変さが想像できないんじゃない? たまにこうやってわたしと会うのはいいの?」 「夜、ってのが、嫌みたいだけどね。家のこと全部やってから出掛けるから渋々許してくれてるけど、やっぱ夜中に妻が出かけるってのは本当は気に入らないみたい。でもあたしは昼間にランチに行くほど仲のいいママ友なんていないし、友達らしい友達は楓子しかいないからやめないけどね。これが唯一の楽しみなんだもん」  これからも頼むね、なんて言われてコーヒーで乾杯する。 「……家事はしなくていいのよ。ただ、ゲームをする時間を子どもの成長を見る時間に変えてくれたら。一緒に食卓は囲めなくても、お互いにお疲れ様って言い合えたら。あたしの頑張りなんて誰も見てないんだから、せめて旦那にくらい『いつもありがとう』って言われたいじゃん。それなのに家政婦扱いで見下されてたんじゃあ、夫婦でいる意味なくない?」  外で仕事をしている人は「何をやっているか」が他人から見ても分かるから評価されやすい。でも確かに、家事育児と言われてはっきりイメージできる人は少ないかもしれない。わたしは以前テレビ通話をした時に、忙しそうに動き回る遥を見てなんとなく分かったつもりでいたけど、それでも「幸せそう」なんて的外れに羨んだ。遥にとってはあんなのほんの一部で、きっと他にもやらなければならないことはたくさんあるし、わたしが見当もつかないようなストレスがあるに違いない。  仕事もできて家事育児も完璧で、なんて理想はいつからか崩れ去っていた。現実はそんなに易しくない。わたしは一人暮らしの状態でもできないのだから。それ以前に結婚もできていない。願望や夢だけではどうにもならない。何かしらの妥協とパートナーの協力があるから成り立つこと。遥や槙田先生の話を聞いていると、自分がどれだけ中途半端でこれまでの努力が独りよがりだったか思い知らされる。 「さ、コーヒー飲んだし、帰ろうかな」 「泊まっていけばって言いたいところだけど、子どもたちいるもんね」 「そー。でも話聞いてもらえて落ち着いた。疲れてるのにごめんね、ありがとう!」  別れ際にようやく見せた遥の笑顔。その台詞を言いたい相手は、本当は旦那さんだろうに。
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