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 もちろんそんな意味ではない。ないけれど、無意識にそれを理由にしている部分もあったかもしれない。槙田先生は疑いの眼差しだ。 「槙田先生はそんな野蛮な人ではないって分かっているから聞いてみただけで。……すみません。送って下さってありがとうございました」 「別に怒ってるとかじゃなくてさ。橘先生は俺のどこを見て野蛮ではないと判断したの?」 「はい?」 「深夜に女性の家に上がり込んでも何もしない紳士的な男だと断言できるほど、きみは俺のこと知らないよね」 「……まあ、そうです。はい」 「きみはそういうとこ考えが足りないよ。鈴木さんの時みたいに患者から嫌なこと言われても我慢すればいいやとか、後先考えずに復縁したほうが早いから元彼と寝ちゃうとか。何かあってからじゃ遅いんだよ」  瞬間、いきなり強い力で肩を抱き寄せられ、槙田先生はわたしにキスを――するかしないか、ギリギリのところで止めた。あと数ミリ動いたら唇が重なるくらいの至近距離。何が起こったか頭が追いつかず、目を見開いて固まっているわたしに、槙田先生がニタリと笑う。ふ、と息が頬にかかった。ほんの十数秒くらいだったと思う。けれども体感は十分くらい。体を離された途端、風がやけに冷たく感じた。 「襲おうと思えばいくらでも襲えるんだよ、気を付けな」  そして槙田先生は何食わぬ顔で背を向けて、もと来た道を戻っていく。わたしは呆然と立ち尽くした。  いきなり脅かすなとか、本当に唇が当たっていたらどうしてくれるんだとか、色々と言いたいことはあるのに、それよりも誤魔化し様がないくらい心臓がドキドキしている。いつも眠そうで怠そうで、そういうことに疎そうな槙田先生が雄に変わった瞬間を見た。この人にそんな度胸などないだろうと無意識に侮っていたことに気付かされたのだ。なめるなよ、と。頬にかかる息遣いや耳元で囁かれた低い声がまだ残っている。  今、鏡を見たらまずい。絶対見たくない。槙田先生のせいで顔が赤いなんて。
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