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 ***  午後の外来が終わってひと息つこうと医局に戻ったら、デスクに着く前に医長の川上先生から手術の話を持ち掛けられた。 「今日の午後に内視鏡した人、生検に出してるんだけど、たぶん胃がんだろうからって言われてさ」  せんべいを齧りながら飄々と言った。川上先生は隙あらば何かを食べている。本人はちゃんとした食事を摂る時間がないからこまめに栄養補給しているんだと言っていたが、ただの食いしん坊だ。すくすく育ったお腹がその証拠である。 「たぶんって、誰が言ったんですか?」  川上先生が無言で顎で示す。その先を振り返るとコーヒーを飲んでいる槙田先生の姿があった。ふてぶてしい横顔。またあの人か、と半目になる。  ――槙田陽太。槙田先生は、わたしと同じ消化器外科医。四つ年上の四十三歳。わたしに結婚できないとか言っておいてあの人も独身なのだ。ああ、腹が立つ。  そもそもわたしはあの人が前から苦手だった。槙田先生は二年前に他県の大学病院からこの総合病院に転院してきたのだが、第一印象からあまり良くなかった。眠たそうな目はきっと生まれつきだろうから仕方がない。ただ、いつも白衣のポケットに手を突っ込んだ、やる気のなさそうでエラそうな態度が気に食わなかった。実際、槙田先生はやる気がない。外科医なのに手術をしないのだ。転院してからただの一度も、緊急の手術が入っても助手ですらしない。しかも仕事のこと以外で他の医師や看護師たちとコミュニケーションを取ろうとしないから、ますますやりにくい。それなのにのうのうと外科に居座っているから、他の医師も看護師もあの人の存在には疑問を抱いている。お前はなんのためにいるのかと。 「内視鏡をしたのは槙田先生ですか?」 「そう。まだ結果は出てないけどさ、そのつもりでスライド作っといて。伊藤先生とか木下先生とか若い子に任せても良かったんだけど、やっぱ橘先生上手だからさ」  そう言われては「分かりました!」と笑顔で引き受けるしかない。頼りにされるのは嬉しいことだ。けれども槙田先生の患者を担当するということは、槙田先生との関わりが増えるということだ。それには溜息をつくばかりだった。
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