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 入院患者の回診のため、院と病棟を繋ぐ渡り廊下を歩いていた時だった。正面から槙田先生と遭遇した。白衣のポケットに両手を入れて、気怠そうに歩いている。いったん立ち止まったわたしたちだが、労いの言葉も挨拶も掛け合うことはなく、だけどお互いに何か言いたげな空気を醸し出す。わたしの方から先に頭を下げると、待っていたかのように槙田先生が口を開いた。 「鈴木さんのカルテ見た?」 「鈴木さん?」 「川上先生から聞いたでしょ。胃がんの人」 「まだ結果出てないでしょう? 今晩見ておきます」  わたしを通り過ぎようとする槙田先生を思わず呼び止めてしまった。一度終わった話をわざわざ蒸し返すことじゃないかもしれない。どうせ嫌な気分になるだけだ。とは分かっていても、気になっていることをどうしても聞いておきたかった。 「あの……、どうして槙田先生はわたしが結婚できないって仰ったのでしょうか」 「どう見てもできないでしょ」 「いや、だからその理由を聞きたくて。まあ女として至らないことは知られてしまいましたけど、わたしのことを碌に知らないのに『絶対できない』とまで言われる筋合いがないと言いますか。それとも医師として何か問題があったのだろうかとふと疑問に思いまして」  わたしに背を向けていた槙田先生は、ダラッとした面倒くさそうな態度で向き直り、窓に寄りかかった。 「医師としてというか、女としてというか、人間として問題が」  全否定されて思わず「はあ!?」と声を上げた。 「橘先生さ、自分大好きでしょ」  出し抜けに聞かれて口ごもった。なんて答えるのが正解なのか分からない。自分のことはどちらかと言えば好きだ。けれども自信満々に「はい」と答えるとただのナルシストになる。 「顔はそこそこ可愛くて、スタイルもまあ悪くはない。患者にも医師にも看護師にも愛想が良く、適度に気が利いて適度に空気も読める。医術の腕は名医とはいかなくても、それなりに技術はある」  余計な修飾語が入るだけで褒め言葉も台無しになるのだと、この時改めて知った。 「年の功もある」 「うっさいわ」
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