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「美味しそうに見えます?」 「デカい口でガツガツ食べてるの見てると気持ちいいよ。入院患者が病院食まずいって言ってたり、食べたくても食べられない人見てるとこっちもなんか落ち込むじゃん。だから美味しそうに食べる人見るとホッとするよね」  昔から大口を開けて食べるのははしたないと言われてきたから、こういう考えの人もいるのかと新鮮に驚いた。ありのままを肯定してもらえるのは嬉しい。そのあとサラリと「ごめんね」と付け足された。 「この間、変なこと言って。せっかくの焼肉だったのに」 「……それは、わたしの方こそ……」  隣の席の若い女の子のグループが、色とりどりの宝石のようなスイーツを並べてはキャッキャと写真を撮っている。黄色い声が辛気臭くなりそうなわたしたちを救った。 「俺、駄目なんだ。さようならって言われるの。元嫁の最後の言葉がそれだったから。色々思い出しちゃって」  わたしが焼肉屋で悔し紛れに放った言葉。「さようなら」と言ったことなんて忘れていたけど、自分が無意識に言った言葉で簡単に人の心は抉れる。 「橘先生、俺にはズケズケ返してくれるから、何言っても突っ込んでくれるって甘えてたかもしれない。だから調子乗ったこと言った。でもさようならって言われて、もう一緒に食べに行けなくなるの寂しいなって思ったから、スイーツ行きたいって言ってくれて嬉しかったよ。ありがとう」  けれども、わたしが聞きたいのはそれじゃなかった。「ありがとう」でも「ごめん」でもなく、槙田先生はわたしをどう思っているのかが、知りたい。  結婚する気はなくても、彼女は欲しくなくても、誰かを好きだと思うことはあるのか。槙田先生を好きになることは本当に無駄なのか。きっと聞いたら答えてくれる。でも冗談交じりではなく本気で「そういうのはいらない」と言われたら、たぶん落ち込む。  ――また、わたしは自分のことばかりだ。槙田先生の心の傷を抉ったことを省みるより、見返りを求めている。そんな女は槙田先生じゃなくても、願い下げだ。 「……わたしも嫌なこと思い出させてごめんなさい。今日、付き合って下さってありがとうございます。……来てみたかったから。来られて嬉しい、し、美味しいです」  汚れた心を隠すように、綺麗な本音だけを伝える。槙田先生は柔らかく微笑むだけだった。 「口直し用のカレーもありましたよ」 「ほんと? じゃあ俺、そっち食うわ」  大きなプレートに山盛りのカレーと小皿にパスタも入れてきて、槙田先生はそれらを大きな口でペロリと平らげた。「美味しそうに食べる人を見るとホッとする」と言った槙田先生の気持ちが、なんとなく分かる。
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