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 制限時間九十分のケーキバイキングは一時間もしないうちに満腹になり、時間を持て余したわたしたちは早めに撤退した。本日の目的は果たしたので、そのまま解散するのかと思ったら、槙田先生は「俺と一緒にいい汗かかない?」なんて言い出した。わざと変な言い方をする人と分かっていながら、まんまと引っ掛かって変な妄想をしつつ「またそんな紛らわしいことを」と突っ込む。  車で連れて行かれたのは、当然家でもホテルでもなくボーリング場だった。 「お腹いっぱいだから、運動したくてさ」 「いいんですか? わたしボーリングめちゃくちゃ上手いですよ」  これは本当の話。子どもの頃から家族でしょっちゅうボーリングに行っていたから、自信がある。プロの指導を受けたこともあるし、学生時代もサークルで定期的にボーリング大会があって、その度に好成績を残してきた。「いいんですか?」というのは、「叩きのめしていいんですか?」という意味だ。 「なにそれ、隠れた特技? ホント橘先生って話すたび新発見あって面白いね」  最近ではもう見慣れていた屈託なく笑う顔に、好きだと自覚した途端に心臓を掴まれる。 「悪いけど、俺もボーリングは得意だからね」  いやわたしのほうが、俺のほうが、と不毛な言い争いをしながら始めた一ゲーム目は、二人ともストライクどころかスペアもほとんど取れずに終わった。散々なスコアにお互いがお互いに首を傾げる。 「え? ボーリング得意って言ってなかった?」 「槙田先生こそ」   二ゲーム目は体が温まってきて、じょじょにスペアとストライクが増え始める。遠慮がちだったフォームも次第に本格的になり、本領発揮し始めたわたしたちは周りの客に「あのカップルやばくない?」なんて引かれるほど本気で勝負を楽しんだ。ラスト一本のピンを取れずに悔しがるわたしを槙田先生が嘲笑ったり、レーンの直前で手を滑らせてボールをガーターに落としてしまった槙田先生をわたしが笑ったり。  ただ、夢中になっていても時々仕事モードになるのは職業柄か、病院から着信が入っていないかこまめにスマートフォンをチェックする。そのタイミングが槙田先生と被ることすら楽しかったりする。本当にそんな些細なことが嬉しいのも、心の底から楽しいと思えることも久しぶり過ぎた。誰かを好きになると単純になるのは、きっと大人も子どもも変わらない。やっぱりわたしは槙田先生が好きなのだ。
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