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「俺に雑誌を見せてきて、『橘先生に服を選ぶ約束してるんだけど、どれが似合うかな』って聞かれて。その時に見たのが、確か裾がフリフリしたカットソーとパンツのセットと、胸元にリボンが付いたシャツと、そのワンピースだった。これが似合うんじゃない? って俺が選んだのがソレ」  わたしの服を指差す。 「今日、見た瞬間に『あー、あの服だ』って分かったんだけど、わざわざ言う必要もないしアピールしてるみたいでカッコ悪いなって思ったから黙ってた。言っちゃったけど」  槙田先生の横顔が街の灯りに照らされて、目尻の皺がくっきり見えた。いい大人で、それなりの貫禄も付き始める頃なのに、どこかあどけない。 「似合ってるよ。綺麗だね」  その言葉に見事にやられたわたしは赤面を免れない。頬を押さえて「ありがとうございます」とそっぽを向いた。可愛いと綺麗と使い分けて言ってくるのがまた憎らしい。高揚しているのは休日の夜のせい、ボーリングで汗をかいたせい、あと槙田先生がいつもより優しいせい。 「……諏訪さんの手紙に、『橘先生を信頼していたから、結果を受け入れることができた』って書かれてたんです。追伸には『生まれ変わったら橘先生みたいな素敵な人になりたい』っていう言葉と雑誌の切り抜きが入ってました。わたし、それ見てなんで自分が医師になったのか、結婚にこだわるのか思い出したんです」 「初心を思い出したって言ってたもんね」  信号が再び青になって右折すると、ようやく渋滞から逃れた。スムーズに走る車に合わせるように、わたしはなつきちゃんの話をした。近所に住んでいた優しいママで、なんでもできるなつきちゃんになりたかったのだと。確か八歳くらいの時にわたしが引っ越してからなつきちゃんとはそれきりだ。なつきちゃんのことをいつまで覚えていたのかは分からない。なつきちゃんのことも、どうしてなつきちゃんに憧れていたのかも自然に忘れていったのに、「医師になって素敵な人と結婚する」みたいなざっくりした目標だけが残ったのだ。父が医師だったのもあって医学部に行くことになんの違和感もなかったから、余計に医師を目指した理由はあやふやになり、年頃になると周りが結婚結婚と騒ぎだしたから、結婚するのは当たり前のことなんだと更に本来の目標を忘れていった。本当は漠然とした理想と現実の自分とのギャップはずっと感じていたが、努力が無駄になるような気がして無理やり突き進んだ。とにかく自分を磨かなくては。医師として女としても自分を高めなければと。
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