誰?

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誰?

 以前コールセンターに勤めていたころ、普段話す声と、電話の声があまりにも違うとよく笑われた。    美紀は 『いやいや、皆さんそうですよね。』  と、思いながらも、 「家でも息子たちに言われます~。」  と、へらへらと笑っていた。  美紀は元々話す声は低めだ。  でも、コーラス部に入っていた頃はソプラノだった。メゾもアルトも出るので、人が足りないと音の取りづらいメゾに回されることが多かった。  コーラス部と言っても、名門でも何もなく、楽譜を読めない生徒もいる中でのコーラス部なので、音程が多少怪しくなってしまうのだ。  美紀はピアノを習っていたので楽譜は読めるし、ミミコピも得意だ。  なので、間違った音程で歌う歌を聞いてしまうと、それが耳に残っていて、間違って覚えてしまう。楽譜で歌うのが一番安心だ。  それでも、話す声は低め。だけど、活舌は良いので、耳が遠くなっている祖母も美紀と話すときは苦労しないと言っていた。    コールセンターで電話に出る時にあまり低い声では、相手が驚いてしまう。  かといってルンルンした感じでもおかしなことになる。  声はあくまで、聞き取りやすく、相手に不快感を与えない優しい物言いが良い。  そうすると、普段の美紀の声よりは高くなってしまうのだ。  勤め始めた頃の面白い話がある。  美紀の上司が、美紀の通話が少し長くなった時に、わざわざブースを覗いて、誰が話しているのかを確認しに来たのだ。  この時は相手がお年寄りだったので、普段の話しかたとは違っていた。  最初は、普段通りに高めの声だった美紀が、だんだんと、声のトーンを落とし、速度も落とし、マイクを手で囲って、外に音が洩れないようにして話したため、声が急に小さくなって聞えたらしい。  その時のお客様は、耳が遠く、あまり高い声だと聞き取れないタイプの方だった。美紀は低くなりすぎない程度に声を低めにして、外の雑音が入らないように、マイクを手で囲ってゆっくりとお客様に対応していたのだ。  その上司は、勤めた初日にも美紀のブースを覗いて、電話を切った後、 「誰かと思ったよ。話す声とそんなに違う人も珍しいよね。」  と、笑った上司だった。  そのお年寄りとの電話が終った後は、 「美紀さんが、別のブースに移って、誰か別の人がブース浸かっているかと思ったよ。だって、いつも良く響く声で電話してるからさ。」  と、また笑った。  いやいや、笑い事ではないのだ。なるべく早く、簡潔に、相手の要望を聞いて、こちらの話も理解してもらわなければいけないコールセンターにおいて、そのくらいの工夫は必要だろう。  甲高くて早口だと、お年寄りは聞き取れないので、しまいには怒り出す。  そういった、電話を美紀は何度も見ているのだ。  家でもそんなことがあった。  家電に息子の担任から電話が来て、話していた後、 「誰がいるのかと思った。」  と、わざわざ、部屋から出てきて、電話の主を確認しに来た息子に言われたことがあった。 『あんたが、あんたをいじめていた友達が困ってるのを、学校で助けたってことを先生が喜んで知らせてくれたからよそいきの声で先生と話してたんだよ!』  と、思ったが、多感な年ごろの息子には、その電話の内容は話さないように担任から口止めされていたので、 「電話のママは高い声♪どこの人かと思ったよ♪」  と、昔息子が好きだった歌で返しておいた。  コールセンター勤めの、49歳の時の美紀は電話の向こうの、若い子が好きそうなオジサンに 「ねぇ、いくつ?二十歳くらい?学生さん?」  と、しつこく聞かれたが、業務内容とは関係なかったので、 「そんなにわかくはないんですよ?」  と、笑声で返した。  この笑顔の声を仕事で使うので、相手は美紀が笑顔で話していると思いがちだが、疲れている時は声だけ化けて、顔は死んでいることが多い。  これも、同期達の間では、笑いの種だった。でも、同期達もその技は皆使っているのだ。みな電話ではしっかり対応しながら目は死んでいる。  美紀は電話の時には化ける。  いや、化けていた。  今は、通販の電話の時に化けるくらいだ。  普段の電話では、化けると相手が美紀だとわからなくなるので、普段通りの声で化けずに対応する。  通販相手の声が笑声ではなかった時や、明らかに圧力がかった声の時は、時には 「上司の方をお願いできますか?」  と、いたずら心でクレームを入れてみる。  そこで、急に困った声になって、しどろもどろしてしまう人もまだまだプロではないな。と思うので。美紀は結構意地悪だな。と自分で思う。  美紀は普段、自分の事はあまり物事にこだわらず、もめごとも嫌いだと思っているのだが、長く務めたコールセンターにかかわることだと、時々、クレーマーに化けてしまうらしい。  通販などで問い合わせの電話をする時は、化けてしまわない様気をつけながら、電話をするようにしているのだ。  もしかしたら、美紀の本体はいつもどこかに隠れているのかもしれない。  電話を架けている時が、美紀の本体で、その間は身体を操られているのかもしれない。  今普通に暮らしている美紀は、本体の残りかすなのかもしれない。と、美紀は時々思うことがある。  だって、電話を架けている時の記憶があまりないのだから。 【了】  
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