世界で一番綺麗な愛

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 両親は幼い頃に他界。5歳だった僕を葬儀場で引き取ってくれたのは、両親と親友だったという梓さんだ。親戚は皆、梓さんの申し出に反対していたが「年金暮らしの年寄り共に引き取られるより私のほうがマシだよ」と煙草をくゆらせながら笑っていた。  それからはマナーも教養も、勉強も、すべて梓さんが教えてくれた。参観日にも来てくれたし、動物園にも水族館にも連れて行ってくれた。  そんな梓さんに恋愛としての矛先を向けるのだって、例えば食パンが表から落ちるみたいに、自然な話だったのだ。 「圭、それは無理な話かな」 「どうして?僕の後継人だから?」  キッチンに立ってコーヒーを入れる梓さんに花束を。それを受け取ろうともせずに、お湯を沸かすから、換気扇の音がいやに目立つ。 「私はあんたの親だから」 「でも血は繋がっていない。苗字だって違う」 「そうだね」 「世間的には何もおかしくない」 「いや、おかしいよ」 「どうして?だって」  きっと親に教えてもらうことは一通り教えてもらった。でも、お風呂には一緒に入ったことがない。一緒に寝たこともない。  そういう、恋人がするようなことは何一つしていないのだ。トマトソースで汚れた口を拭ってもらっても、その口にキスをくれたことはなかった。そんな相手にどうして下心を持たないことなんてできよう。 「僕、セックスの仕方くらい知ってるよ?男として見れない?」 「うーん、圭の口から聞くとはなぁ」 「梓さんで抜いたんだ。ずっと、あなたで…」  手の震えで、花束がカサカサと音を立てる。受け取ってもらえないそれを下ろして、俯いた。お湯は沸騰して、コーヒーになるときを待っている。 「梓さん以外なんて、好きになれない」  ぼたり、と涙が床に落ちる。情けなくて顔が上げられないのを梓さんが黙って見ているのがわかった。  本当は花束じゃなくて指輪をあげたかった。でも学生のバイトじゃ高いものは買えなくて、せめて梓さんが好きな花をと思って買ったのが間違いだっただろうか。所詮18歳。結婚したところで梓さん一人さえ養えないことくらい明白。 「圭、私ね、今年で39歳だよ」 「…知ってる」 「あんたのことは、あんたのお父さんお母さんと仲良かったから、おしめだって変えたことある」 「…うん」 「でもそんなことは関係ないんだよ」 「…どうして、ダメなの?」 「私が女じゃないからかな」  火を止めて、コーヒーマシンに注ぐ。下に滴り落ちる液体。細くお湯を入れる梓さんの髪は頭の高い位置で括っていて、爪は綺麗に整えられている。  梓さんはとても綺麗で、夜の闇に良く似合う。 「胸も無いし妊娠もできない。ちんちんだってついてるよ」 「……」 「だからね」 「知ってるよ」  お湯を入れきった梓さんが振り向く。目は見開かれて、まるで想定外のことを言われたみたいだ。 「…いつから」 「最初から」  葬儀場で一人で座っていた僕を、親戚が押し付けあっていたことを何となく覚えている。子どもは金がかかる。若くして子を産んで死ぬなんて無責任な親だと、大人が言い争っていた。  そんな僕を唯一抱き上げてくれたのが梓さんだ。黒いスーツを着て、短髪で、煙草を咥えていた。そんな彼が引き取ると言った途端、「独身の男なんかに子育てができるものか」と反発する親戚に無責任なのはどっちだよ、と物心ついたときに回顧して思った。  その次の日から、梓さんは女性の成りをするようになった。母っ子だった僕のために、精一杯"母親"でいようとしてくれた。 「わかってて、花束なんか…」 「僕、ちゃんと男の身体した梓さん妄想して抜いたよ」 「っ」 「気持ち悪い?」 「まさか。でも…」  言葉に詰まらせて、今度は梓さんのほうが俯いた。コーヒーをカップに移し替えることもしないで、どんどん冷めていく。  花束をもう一度差し出して、梓さんに押し付けた。 「梓さん」 「……」 「梓さんが男ってことの、何が問題?」 「……」 「それ自体は問題じゃないでしょ。僕の申し出を断ればいいんだから」 「…言うな」 「でもそんなに悩んでるのって、少なからず僕のプロポーズに迷ってるからだよね」 「言うな!」 「僕のプロポーズを嬉しいと思ってるから、自分が男であることを今更問題視してるんだ!」 「圭!」 「ねえ梓さん、気づいてた?僕とっくに梓さんの身長超してるんだよ」  梓さんの真後ろに立って、上の戸棚からカップとソーサーを取り出した。梓さんを抱きしめるようにそれを彼の目の前に置く。 「お母さんって呼べなくてごめんね」 「…け、」  振り向いた彼の唇を塞ぐ。震える肩を抱いて、花束をその手に握らせた。あの日、僕を救ってくれたその手に。
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