新・スズキ君

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 僕は東京で大学生になっていた。  東京にいる叔父が経営しているバーでアルバイトをしていた。繁華街から少し逸れた、7人も入れば満席になるような店だ。落ち着いた大人の雰囲気が、一人でくつろぐ時間や二人の緊密な時を確かめ合うのに適していた。叔父に言わせると、僕の外見や立ち振る舞いがそんな店のバーテンダーにピッタリなんだそうだ。僕は半年もすると一人で店を任せられるようになっていた。マスターの体調がこの所、すぐれないせいもある。  ある日、いかにも昭和のおじさん風の二人連れが店にやって来た。  どうやら二次会からの流れでのようだ。他に客はいなかった。目が細い、瘦せている方がビールをオーダーしだ。もう一人は僕をじっと見ていた。太っているが、まつげが長い。痩せた方が太った方にビールを注ぎ、親し気に話し始めた。 「校長先生。懇親会、お疲れさまでした。まったく、近頃の保護者には困ったもんです。教師の激務をわかっちゃいない。残業代無し、土日無しでみんな頑張っているんですけねどねぇ」 「その通りです。教頭先生。今どきの教師は、ブラック企業の社員顔負けです」  校長と呼ばれた男が自嘲気味に言った。そして、グラスのビールを苦そうに飲み干した。教頭らしき男がすかさず、ビールを注ぎ足す。 「ところで、教頭先生、今度教育実習に来たスズキ君はどうですか?」 「ええ。外見は...あの~、なんて言いましったっけ?TVでよく見る、え~とっ」  一瞬、校長を見た。 「あっ、そう、そう、“むつ子ゴージャス”!みたいです。でも、なかなか生徒の評判はいいんですよ」 「ほう、なぜですか?」 「先日、体育のサッカーでリフティングを軽く100回ほどやってのけ、生徒から拍手喝采でした。スズキ君はああ見えて足も速いんです。それと、英語がうまい。外人の講師と世間話をしてました」 「教頭先生。人は見かけによりません。彼は苦労人です。履歴書によれば、新聞配達のアルバイトや奨学金で学生生活を送ってます。英検も1級ですよ」 「そうでしたか、校長先生。これは失礼しました。スズキ君のちょっとクールな感じは、そんなところから来てるんですね。ところで、校長先生、それとこれとは別ですが、スズキ君はそばで見ると意外にまつげが長く、うなじもきれいなんです」  校長は眉をピクリと動かした。教頭は見逃さない。敏感に反応してビールを注ぎ足しながら、さらにスズキ君について話しを続けた 「校長先生、スズキ君は図工の時間や音楽の時間でも人気なんです」 「ほう」 「絵が写真のように上手いんです。それに何と言っても歌がいい。私が立ち会っていた時でした。音楽室でビートルズの“And I Love her”の弾き語りをしたんです。そしたら生徒が静まり返って、私も思わず聴き惚れてしまいました」  校長が長いまつげを閉じて呟いた。 「“And I Love her”...私も好きでした」    僕は磨いていたグラスを落としそうになった。 「教頭先生。そう言えば、スズキ君は高校1年の時、サッカーの新人戦で背番号10をいきなり背負って優勝、と履歴書のアピール欄に書いてありました。また、学校生活で印象に残ったエピソード欄には、離れ離れになっていた小学校の同級生に偶然その新人戦で再会して、合言葉をかけゴールを捧げた、ともありました。そのときの合言葉が“And I Love her”なんです」 「えっ、校長先生。偶然とはいえグッときますね。それに、“And I Love her”かぁ。なんだか意味深ですね。だから、スズキ君はサッカーがうま、、、」 「ガッチャン」  僕は磨いていたグラスを落としてしまった。 「あ、申し訳ございません。失礼いたしました」  二人は僕をチラッと見たが、それを機に会話もたわいないものに変わっていった。  僕がグラスを拾うと、表面にはいつもスズキ君を見つめていた小学校5年の僕の姿が映っていた。  サッカーが僕より上手かったスズキ君。  一緒に下校した時、まつげが長くてうなじがとてもきれいだったスズキ君。  図書館で好きな本を読んでいたスズキ君。  毎日、新聞配達をしていたスズキ君。  ラジオの英語講座を聞いていたスズキ君。  流暢な英語で外人と話をしたていたスズキ君。  スケッチが写真のように上手かったスズキ君。  拾ったギターでカセットから流れる曲を耳コピしていたスズキ君。  僕の目を見て“And I Love her”を歌ってくれたスズキ君。  あの日あの時の、ありとあらゆるスズキ君の姿が、高速に切り替わるスライドショーで蘇った。最後のシーンは、僕がスズキ君を想って泣いた日。あの甘くせつない、僕が大人に一歩近づいたのを発見した瞬間(とき)だった。  教頭がトイレに立った。僕が一人残った校長に愛想笑いをすると、彼は長いまつげの目で、僕をじぃっと見つめて囁いた。 「“And I Love her”...B面は“恋に落ちたら”」  その瞬間、僕の身体はふわりと浮いて、高校1年の新人戦のグラウンドを見下ろしていた。僕の横には白い月が浮いていた。  色白、でも精悍で筋肉質なスズキ君がドリブルで駆け抜ける。その白いうなじが昼間の白い月にシンクロし、得も言われぬほど艶めかしい。まるで、草原を躍動する美しいペガサスだ。スズキ君はベンチの僕にチラリと目をやり、鮮やかなオーバーヘッド。ゴォール。その時、僕を襲った痺れるような快感。  極めつけは、ボールを挟んで見つめ合う僕とスズキ君。“And I Love her”と囁かれ、その瞬間、僕の身体を快感が貫き、涙が迸っていた。 「あぁ」  僕は空の上でも堪らず、熱い吐息を吐き出した。 「校長先生、お待たせしました」  金色のウイッグを被り、濃いめのアイシャドー、艶やかなルージュをひいたタイトスカートの教頭が立っていた。  目の前の校長が潤んだ目のまま僕に言った。 「チェック」    二人が店を出て行くと、僕の頭の中で何度もストロボが発光していた。  長いまつげの校長、教育実習生、“むつ子ゴージャス”、小学校のスズキ君、タイトスカートの教頭、新人戦のスズキ君・・・様々な姿の彼らが凄まじい勢いで現れては消えていく。  扉が開いて二人連れの女性が入って来た。 「いらっしゃいませ」  僕は、我に返った。  一人はいかにも仕事ができそうなベリーショート。もう一人はキュートなショート。たぶん、部下だろう。彼女は僕をチラッと見た後、目を伏せた。ベリーショートは僕をまじまじ見つめ、よく通る声で言った。 「アイドルみたいだな」  ベリーショートはドライマティーニを、キュートなショートはカルーアミルクをオーダーした。 「編集長、今度の特集“いい男”でスズキ選手の記事はきっと大評判です!」  キュートなショートがベリーショートに熱く語りかけた。 「ああ、河合、お前の取材なかなか良かった。よく、あのスズキ選手にインタビューできたな」 「はい、私の叔父がシアトルでベンチャーキャピタル立ち上げて、今や飛ぶ鳥落とす勢いなんです。大ファンのマイナーズにも投資をしていて顔が利きます」 「へ~、なかなかすごいコネがあるんだな、河合は」    スズキは今年、メジャーリーグに彗星のごとく現れた。アメリカの大学を中退し、メジャーでいきなり大活躍。俊足好打を活かし首位打者、盗塁王を獲得。マイナーズ初のリーグ優勝に大きく貢献していた。オフには新人王とMVPにも輝いた。その精悍な顔立ち、締まった身体で女性ファンが急増している。まさに、時の人だった。しかし、スズキの生い立ちやアメリカに行くまでのキャリアは謎に包まれたままだった。それゆえ、スズキの素顔に迫った記事は世間の注目を浴びること必至だった。 「河合、オフレコで記事にならなかったスズキ選手の秘密をもう少し教えてくれ。小学校時代はかなり苦労したようだな」 「編集長、さすが地獄耳ですね。はい、シングルマザーのもと新聞配達、図書館での勉強、ラジカセでの英語講座、そして、父親の残したカセットテープで、好きな音楽を拾ったギターで耳コピなど、今どき泣かせるエピソードだらけです。なんと、驚いたことに小学生の頃はサッカー少年だったそうですよ」  僕の手が一瞬止まった。 「えっ、そうなのか!スズキ選手は小学校時代に何か特別な思い入れがありそうだな」 「さすが、編集長。鋭い。はい、5年生の2学期です。一緒に下校するほど仲良くなった子がいて、その子との出会いが忘れられないそうです。音楽の授業ではその子のためにビートルズの“And I Love Her”の弾き語りまでしています」  僕の肩がビクッとなって、キュートなショートを凝視した。彼女は赤くなって目を伏せた。 「“And I Love Her”か...いいセンスだ。彼女だったのか」 「いえいえ、編集長。それが男の子なんですよ。ここ、肝です」 「えっ、肝⁈なんだ、その肝ってのは。まあ、子供時代は憧れってもんが強いしな。ま、いいっか。河合、ところで、記事では小学校時代から、いきなり高校時代に跳んでたな」 「ええ、そこはあまり触れたがりませんでした。ただ、高校1年のサッカーの試合は、日本での最高の思い出だと、今でも忘れられないそうです」 「ほ~、なぜだ?」 「小学校5年の時、一緒に下校した同級生と偶然、試合で遭遇したそうです。夕方の試合で、空には白い月が浮かんでいました。ああ、なんて、ロマンチック。ねぇ、編集長」 「ああ。なんだか肝が効いてきたな。でも河合、なんで同級生ってわかるんだ?」 「編集長、そこ、そこなんですよ。この話のクライマックスは!」 キュートなショートはスツールを素早く回転させ、ベリーショートに向き合った。 「スズキ選手は相手側のベンチに座っていた選手が、試合中から気になってたそうです。もしやと思い、わざと相手のベンチ前でボールを出しました。ベンチの選手がボールを拾おうと、手を差し出したその時、スズキ選手も同時に手を出したんです。ボールを挟んで見つめ合った二人。スズキ選手が“And I Love Her” と囁いたら、相手の選手はその場にくずれ落ちて、号泣」 「お~、河合。ドラマティックだな。一緒に下校した子は、間違いなく肝だ」 「ガチャン」  僕は磨いていたグラスを派手に落とした。  涙がみるみる溢れ出す。  二つのショートヘア―が同時に僕を見た。 「あ、すいません。大変失礼いたしました。レモンを切っていて、飛沫が目に...」  二人は怪訝な顔をしたが、すぐ会話に戻っていった。   「編集長、まだ話は終わりじゃないんです」 「えっ、河合。もっと、秘めた何かがあるのか」  ベリーショートは文字通り前のめりになっていた。 「はい、極上の...スズキ選手の背番号は何番かご存知ですか?」 「確か...10。サッカーではエースストライカーのナンバーだが、野球では特に意味はない」 「編集長、そこなんですよ、問題は。10の1は遠くからだと他に何に見えます。ヒントはアルファベット」 「えっ、何だ、河合。藪から棒に。そうだな...あっ、Iか」 「さっすがぁ、編集長。ではゼロは?」 「河合、ばっ、馬鹿にするな。Oだろ」 「ブ~、編集長、単純すぎます。IOって一体何ですか?入出力じゃあるまいし。ヒントはテニス」 「テニス⁈ ゼロ...テニス。あっ、河合。わかったぞ!ラブだ。 I LOVE...」 「編集長。ピンポーン!スズキ選手は有名になれば小学校で出会った彼が、どこかでスズキ選手の背中を必ず見ると信じ、毎日全力でプレーしているそうです」 「ガッチャ~ン」  僕はグラスをド派手に落とし、全身ががくがく震え始めた。意識が遠のいていく。    その時だ。ベリーショートがジャンプ一番、カウンターを飛び越え、崩れ落ちる僕をすんでのところで支えていた。僕は、半ば意識を失いながらベリーショートの腕の中でつぶやいた。 「お姉さん...ありがとう。まるでヒーローですね」 「ああ、これでも昔は、リングの上でもヒーローだった。ヒーローに変身はつきものさ」  僕は薄れゆく意識の中でキュートなショートに目を向けた。  そこにいたのは、Iの目二つ、口がOの、かわいい鳩だった。
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