けわい

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 女の化粧なんて、退屈なもんだ。  土曜の朝陽を背に、ボクはぼんやりと鏡に映る君を見てる。ダイニングの木の椅子に逆さに腰かけて、暇な時間をもてあましてる。 「いつごろ帰れる?」 「うーん、わからない。仕事上がりに同僚と飲みに行く約束してるし……」  君は鏡を見つめたまま答える。唇の端をキュッとあげて、すうっと口紅を引く。今秋のトレンドはシアー系マット。渋すぎないくすみ色がブルべ夏の君にはお似合い、だけど……。  そりゃ、君と一緒に暮らし始めた時は、君の一挙手一投足にときめいたものさ。化粧なんて、それこそ神秘だった。パウダリーな香りって、何となく「秘め事」を感じさせてゾクゾクしてた。  鏡の前で、君が確実に「女」に変化していく様を見るのは、まさにマジック。僕だけに鑑賞が許されている、不思議な手品だった。 「その口紅、ちょっと濃くないか?」 「今年の流行色はプラム系なの。この色だって、決して濃い方じゃないわよ」 「ふうん」  あんまり好みじゃないんだけどな。  こないだ僕がプレゼントした、ダスティーローズのティントはどうしたの? ちょっぴり肉厚な君の唇に馴染んで、君も気に入ってたみたいだったのに。   君は気付いてないかもしれないけど、僕はとっくに知っているんだ。  君の化粧が変わる理由をね。同僚との飲み会なら、必要無いはずのアピールポイントを凝らす理由は一つしかないだろ?  ごくありきたりの、平凡な理由。  それに気付いた時から、君の化粧を見るのはたまらなく退屈な時間に変わってしまった。種の解っているマジックを何度も見せられているような、うんざりする時間。でも、僕はどうすることも出来ず、いつものように木の椅子に逆さに腰かけ、君が化粧を終えるまでじっと待っているしかない。  同僚と飲みに行く ―― なんていい口実だろう。朝帰りになったとしても「酔っぱらって同僚の家に止めてもらった」とか何とか言って、シレッとしているんだ。……僕が気付いてないと思って。  不思議だね。君の心の全てが僕に向いていないにもかかわらず、君は僕を手放さない。いや、僕が君に愛想をつかすことは無いと確信してるかのようだ。 ――「彼氏、だから」 ――「私と付き合ってるなら、誰も手を出さないっしょ?」  僕の事、君がなんて言ってるか知っているよ。奔放な君にとっては、僕は鈍感な安全パイなんだろうな。まぁいいや、「沈黙は金」と言うしね。 「いってきまーす」  玄関先で、いつもより踵の高いヒールを履いた君がニッコリ笑って振り返る。 「行ってらっしゃい」  片手を上げて見送った僕は、玄関の鍵が施錠されたのを確認してから君の知らないスマホを取り出した。
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