*エピローグ

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*エピローグ

 『においから嗅ぎとった第一印象は揺るがない』――そう、僕はずっと思って来た。  実際人好きする人は良いいにおいがするし、そうでない人は近寄りがたいにおいをしている。だから、僕が付き合えるのは僕の好みのにおいのする好印象な相手だけで、僕はにおいから受ける第一印象の直感は絶対だ、とすら思っていた。  でも、必ずしもそうじゃないんだってことに、彼に出会ってから気づけたんだ。 「薫さん、起きてー。そろそろ朝めし食わないと遅れちゃうよ」 「んー、今日はリモートだから……もうちょっと寝かせて……」 「ダメだよ、そう言っててこの前ぎりぎりまで寝てたんだろ?」  ほら起きて、と言われながら抱き起こしてくる彼からは相変わらず熟れた甘いにおいがほのかにしている。  もっとそれを嗅いで痛くて頬ずりするように胸元に鼻先をうずめると、穏やかに鼓動する心音が聞こえ、より濃く甘いにおいが嗅覚を刺激する。 「密ぅ……」 「ちょ、薫さん! ダメだってば!」 「いいじゃん、ちょっとだけ」 「ッだ……ああ~もう、ダメだってば!」  頬寄せていた胸元から引き剥がすように密が僕を押し戻し、鼻先をくすぐるにおいがほんの少し薄れてしまう。 「んぅ~、密のケチぃ。いいじゃん少しくらい」  途切れかけたにおいが恋しくて僕が密の方を見ると、見つめた先は真っ赤な顔をして何とか取り繕おうと言う顔をしている。そんな風にしたって、密が僕の寝起き姿にドキドキしているのはお見通しなのに。 「そ、そう言って俺にえっちな事させようたってそうはいかないからね」 「ホントは嬉しいくせに」 「薫さん! ほら、もう起きなきゃ! 会議遅れるよ!」 「んぇ~、やだぁ」 「もう社会人二年目なんだからそんな子どもみたいなこと言わない!」  相変わらず密は明るい髪色にピアスだらけな耳をしていて派手な感じなんだけれど、見た目に反してサボるとかそういうことに関しては真面目なのでなかなかいい顔をしない。 「ほら、薫さんの好きな具沢山の味噌汁とおにぎりだよ」 「ありがとー、密」  毎朝僕より早く起きて、二人分の朝食を作ってくれて、社員になったハウスキーパーの仕事に出かけていく。苦手だった掃除も克服したらしく、いまでは結構指名が入るみたい。 「今日の会議って新しい香水の企画の話?」 「そ、自然に香るっていうのをコンセプトにね」 「薫さんの得意分野じゃん」 「まあね。いいやつができればいいけど」 「大丈夫だよ、薫さんの嗅覚は最強だもん」  大学卒業後、嗅覚の鋭さを強みにして僕は化粧品会社の、特に香水などを企画する仕事に就くことができた。そしてそれを機に実家とは正式に縁を切り、いまは密とふたり以前の部屋の半分もあるかというほどのマンションに暮らしている。  仕事はまだまだふたりとも駆け出しだし、僕にいたっては家事が掃除以外まるで出来ないけれど、密とふたりでフォローし合いながらの毎日はすごく楽しい。もちろん楽しい事ばかりではないけれど、それでも大事な存在である相手と暮らせる日々は掛け替えがない。 「いつかその内、僕が企画した香水を作りたいなぁ」 「へえ、どんな?」  味噌汁を飲みながら訊ねてくる密からは、いつものあのにおいがしている。僕を捕えて離さない愛しいあのにおい――それこそが、僕の考える香水の原点。 「熟れた甘い果物みたいな、ちょっとクセのあるにおい、かな」  少し考えてからそう告げると、密は面白そうにうなずき、「いいね、それ」と微笑む。微笑みにもまた、あの甘いにおい。 「そしたらいつでも一緒にいる気分になれるんじゃない?」  いたずらっぽくニヤッと笑いながら密がそう言ってきて、僕は目を丸くする。なんでそれを、と言いかけた口に、密がそっと口付ける。 「やっぱそうなんだ」 「……密、気付いてたの?」 「当たり前じゃん、薫さんが起き抜けにいつも俺にすりすりするのはなんでなのか気付いてないとでも?」  さっきもしていたしね、とまで言われてしまって、僕は反論できずに黙々とおにぎりを頬張るしかない。  その頬に密がそっと触れてきて唇を寄せてくる。 「だったら、俺も薫さんのにおいがする香水欲しいな」 「僕?」 「うん、そんでさ、お互いのにおいの香水付けてエッチなことしようよ」  そう囁いた声の甘さと、声を包む甘いにおいに僕の身体の奥が痺れていく。ああ、やっぱり僕は彼のにおいが好きで仕方ないんだ、と心の底から思う。  いいね、とうなずく代わりに僕が密の唇に触れると、密もまた僕の唇を舐めてくる。 「……遅刻しちゃうんじゃなかったの、密」 「十分だけ、いいじゃん」  真面目な中にも時々覗く甘い部分にくすくすと笑い合いながら、僕らはもう一度唇をかみ合うように重ねた。  熟れた甘い果物のにおいがゆったりと僕らを包んでいくのを感じながら。 〈終。〉
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