*11 寄り道で得たこと

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*11 寄り道で得たこと

 学校で妙なことがあったからか、そのまま真っすぐ家へ帰る気になれず、僕はただぼんやりとキャンバス内をうろうろしている。  この前のように図書館へ行って参考文献を探してもいいのだけれどなんとなくそんな気になれず、宛てもなく歩き回っていた。 「あれ……ここって……」  目的もなくさまようように歩いて行きついたのは、先日密に連れて来られたダイナーの前だった。  店の前にはビンテージ物と思われるネオンサインの看板が掲げられていて、扉は大きく開かれている。一歩近づくと店内からは音楽が聞こえてくるからきっといまも開店しているのだろう。  時間もお金もあるから立ち寄ろうと思えば立ち寄れるけれど、さっきあんなことがあった後で密のバイト先でもあるところに僕がいていいものかを一瞬ためらってしまう。なんだか、僕が密を頼みにしているみたいで恥ずかしくて。  誰かを頼って身を寄せるようなことをこれまでにした覚えがない。そもそもそういう追い詰められた気分に――両親にゲイであることを糾弾された時でさえも――なったことも殆どなかったから、無意識に自分の味方をしてくれた彼に関わる場所を訪ねていいものかがわからないのもある。  でも、なんとなく部屋には今帰りたくない気分なんだよな……そう、店先で考え込んでいると、奥の方から先日顔を合わせた店長が出てきた。 「おお、清田クリニックの坊ちゃん。また来てくれたんだ?」 「あ、えっと……」 「密はいま授業中だよ」 「あ、はい……」 「あいつが来るまで寄ってくかい?」  反射的に断ろうかと口を開きかけたけれど、部屋に戻りたくない気持ちが勝って僕はうなずいていた。  いまは昼休憩なんだよねと言いながら店長はカウンターに入って行き、「何にする?」と訊いて来たのでこの前と同じクラフトコーラを注文した。  僕以外の客がいない店内はただ音楽が流れるほの明るい空間で、静かなのに飾られたジュークボックスやビンテージグッズのせいで賑やかな視界だ。  やがてコーラ入りのグラスが差し出され、僕はひと口飲む。スパイシーなクセのある味が喉を滑り落ちていく。 「すみません、休憩中なのに」 「いいんだよ、あいつの友達なんだから」 「友達……」 「密、後小一時間もすればここに顔出すと思うんだよ。待ってる?」  密にはいましがた会ったけれど、あまり良いものとは言い難かったし、夜もウチに来るのはわかっているので今またここで顔を合わせていいものかわからなかった。  どう返事をしたものかとためらっていると、店長はちょっと苦笑して、「ケンカでもした?」と訊ねてくる。 「いや、ケンカとかそういうんじゃないんですけど……ちょっと、トラブルに巻き込んじゃったから」 「坊ちゃんがトラブル? それに密が関わった?」 「関わったって言うか、僕がトラブルになってたのを密が止めてくれたんです。ただ通りかかっただけだったのに。なんか、悪い事したなって思って」  なるほどね、というように店長はうなずき、僕とは違ったグラスに淹れたコーラを飲んでからふわっと笑った。 「まあ、それは別に気にしなくていいんじゃないかな」 「そうなんですか?」 「あいつは、密はね、困ってる人がいると放っておけないんだよ。なんて言うか人との距離がそれこそ密でね。あいつが大切だと思う人ほどお節介なくらいに助けたりすることを当然だと思っているから、密は。だって君ら友達なんでしょう?」 「……大切だと、思う人……」  友達のような大切だと思う相手なら、トラブルに巻き込んだとしても気にしなくていいものなんだろうか。  風磨は僕を“友達”とみんなの前で言うけれど、それはたいてい金を払わせようとしている時で、都合のいい呼び名にしか聞こえたことがない。そういうのと、僕が密を巻き込んで庇ってもらったことは何が違うんだろう。 「それって、お金払わせたりとかってしないものなんですか? それよりも、トラブルに巻き込まれてたら助けたりとかするんですか? お金もやり取りしないで?」  僕の言葉に店長は口に運びかけたグラスを持つ手を停め、眉をひそめてこちらを見てくる。まるで僕があり得ないことでも言ってしまったかのような顔だ。 「坊ちゃんの言う友達とか大切な人ってのは、お金がないと成り立たないもんなのか? トラブルから助けたら、助かったよ、って金払うのか?」  僕が答えられずうつむいていると、「そうやって密にも金を渡したりしたのか?」と訊かれ、僕は慌てて顔をあげて首を横に振る。 「いえ、密はそんなことしないし言わない。ここでコーラ飲んだ時もそれぞれお金払ったし、いままでだって一度も密からお金をくれって言われたことはないです。仕事の時は、別だけど」 「じゃあ、密以外の坊ちゃんの周りのやつらは、そうだったのか?」  小さくうなずくと、店長は大きく溜め息をついてコーラを飲む。  呆れられたのかもしれないな……バカみたいなことしてるって……自分でもお金目当てのやつらしか周りにいないのは気付いていたのに、ただただされるがままになっていたのだから。  重たい沈黙が店内に漂い、その間を縫うように低く小さく音楽が流れる。 「それ、あいつは……密は知ってるのか?」 「……たぶん。でも、もうやめろって言われました。そんなの友達なんかじゃない、そんなやつらに僕のお金を使っちゃダメだって」 「そりゃそうだ。たとえ坊ちゃんだろうと、自分の金を、自分を大事にしてくれない奴なんかに使っちゃダメだ」 「そう、ですよね……でも僕、そう約束したのに、約束、守れなかったんです」  あの飲み会の日のことを思い返すと喉がつかえるみたいに苦しくなる。密は僕のことを信じているからと言っていたのに、僕は約束を守れなかったからだ。約束を守れなかったということは、信じてくれていた密を裏切ったことになる。友達がいままでいたことがないぼくであっても、それぐらいはわかっているつもりだ。  飲み会の日、ダイナーに初めて連れて来られた日に交わした約束の話と、僕がいままで“友達”に奢らされてきた話をかいつまんで店長にした。店長はさっきよりも深刻な顔をして僕を見て聞いている。  話し終えると、店長は飲みかけていたコーラのグラスをカウンターに置いて考え込むような顔をしていた。 「だから僕は、密の友達だとか大切な人だとかなんて言う資格ないんじゃないかなって思うんです。約束が守れないんだから、きっと密だってそう思うだろうし……」 「……それはどうかな」  そうだな、お前は友達なんか名乗る資格はないな、と言われるかと思っていたのに、店長はそうじゃないと言うのだ。  問うように僕が顔を向けると、店長は腕組みをして考えながら言った。 「約束を守れなかったのは確かに良くないことだろうな。でもな、約束なんて百パーセント必ず守れなきゃいけないってもんじゃないし、出来ない方が圧倒的に多い。世の中そんなもんだ。でもな、守れないからもうお前は友達でもなんでもない、って言うほど世の中非情でもないんだよ」 「それって、僕はまだ密の友達とかだって思ってていいってことですか?」 「そうだな。でも、約束が守れなかったということはちゃんと言っておいた方がいい。嘘ついたりごまかしたりするのは友達……まあ、友達とかに限らず人間関係は極力しない方が良いんだ。後ろめたいことがあるとろくなことにならないからな」  後ろめたいこと……少なくとも僕がそう感じていることを、風磨とはそれを嗅ぎつけられて付け入られて今の関係があることを考えると、確かにろくなことになっていない。  そんな僕の胸中を知ってか知らずか、店長は更にこう続ける。 「友達とか大切な人とかなんてな、金で成り立つもんじゃないんだ。金で買えないものの積み重ねで繋がっている関係なんだよ」 「お金で買えないもの……」 「まあ古臭い言葉で言うなら、友情とか愛情とかってやつだろうな。返せないほどの貸し借りはしないことが一番だ。密はそういうのをよく知ってる。だからあいつには友達が多いんだろうな」 「……なるほど」 「ま、悪いなと思っているならちゃんと密に話をするのが良いかもな。べつにあいつはむやみに怒ったり友達やめたりするようなやつじゃないから、安心しな」  僕が納得したようにうなずいたのを確認して、店長は安堵したような顔で微笑んだ。  その内に昼休憩の後のシフトらしいバイトの人が来たので、僕は店を後にした。  ダイナーを出て自分の部屋を目指しながら、僕は自分の足取りがさっきまでよりも随分と軽くなっているのを感じた。  あんなにちゃんと大人に話を聞いてもらったのって初めてだったかもしれない。僕の周りにいる大人はいつでも僕よりも僕の後ろにいる両親のことばかり気にしていて、僕はただのお飾りとしてでしか扱ってくれていなかったから、すごく新鮮だったしふつふつと嬉しい気持ちが湧いていた。  これもまた、密に関わるようになったから起こった出来事なんだろう。彼と出会ってから、僕の身の周りは少しずつ小さく変わってきている気がする。すごく些細で、小さな変化だけれど。例えばさっきみたいな、誰かに相談事みたいなことをするなんて今までなかったのに。  でもそれが、いやではない。まるで、密のあの熟れた果物のようなにおいを感じ取った時のようにホッとするんだ。  何かが僕の中で変わり始めている。それも、ポジティブな方向に――  淡く感じる明るい気持ちを胸に、僕は軽くなった足取りで部屋へ帰って行った。
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