*15 代理の違和感とその痛み

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*15 代理の違和感とその痛み

 いつも指名していた密を急にキャンセルしたのでウッディハウスキーピングから翌日慌てた感じで連絡がきた。なにか密が不手際をしたんじゃないかというのだろう。 「いえ、べつに何かあったわけじゃないんですけど」 『しかし、ずっとご指名頂いてましたし……なんでも、遠慮なく仰ってくださいね』  不手際と言えばそうなのかもしれないけれど、昨日の件は僕が先に声をかけてしまったのだし、結局ほとんど同意の上での行為ではあったので密だけが悪いとは言い切れないと思う。なにより、はっきりと内容を告げていい事とは思えないし。  だから僕は昨日の出来事の内容は伏せて、密のせいじゃなく僕の都合でのキャンセルなんだと告げた。 「や、ホントにそういうんじゃないんで、大丈夫です」 『左様でございますか。しかし、急な予定変更で何かご不便なことはありませんか?』 「そうですねぇ……強いて言うなら、いつも惣菜を作り置いてもらってるんですけど、昨日はその暇もなくキャンセルしちゃったんで、いま何もなくて」  恥を明かすようで迷ったのだけれど、デリバリーでは味が濃すぎる上に量が多くて食べきれなくて困ってしまうので、何か作り置きがある方が僕としては助かるので正直に話してみる。  すると通話口の人は少し考えてからこう提案してきた。 『それでしたら、(わたくし)がちょうど今シフトが空いておりますのでお伺いしましょうか?』 「あ、じゃあお願いします」 『別料金が発生しますがよろしいでしょうか?』 「はい、大丈夫です」 『では、18時に私、穴守がお伺いさせて頂きます。よろしくお願いいたします』  そうして通話を終えたのだが、なんだか少し緊張していたことに気付く。たぶんいつもメッセージアプリでのやり取りが多い上にあんなに丁寧な受け答えをあまり普段しないからだろう。 (密はどっちかって言うとタメ口みたいなもんだったからな、同い年だし)  そう考えるといかに普段気やすい状況であるかがよくわかる。  冷蔵庫の中身をざっと確認して、足りなさそうな食材はネットスーパーで適当に買ってその人を待つことにした。  小一時間後、さっき通話で応対してくれた穴守という、密よりもいくらか年上の二十代後半ぐらいの男の人が来てくれた。彼は密の前任だった人だ。 「昨日は淀川がご迷惑をおかけしてすみませんでした。ご不便おかけしてしまって申し訳ありません」  来て早々穴守は玄関先でそう頭を下げてきたが、迷惑をかけられたわけでは決してないので僕もまた首を横に振ってそんなことはないとか言って謝り返したりする。 「本当なら淀川に改めてうかがわせた方が良いんでしょうけれど、生憎今日はお休みを頂いておりまして……前任の私ですみません」 「ああ、それは大丈夫です」 「何分淀川は経験が浅くてちょっと頼りないところもありまして……至らないことも多かったかと思います、申し訳ございません」  密が至らないからキャンセルされたと思っているのか、穴守はしきりにそちらの、特に密の不手際のように言う。カケラもそんなことを持ってはいないから、僕はつい、「いや、全然そんなことないです!」と、語気強めに言い返してしまった。  穴守はきょとんと僕を見ている。 「や、えっと……歳が近いんで気安いんで。それに……惣菜も、美味しいし」 「そうですか。それならいいんですが……。ではさっそくお邪魔させて頂きますね」  そう言って穴守は一礼して靴を脱いで中に入ってくる。穴守は栗色のマッシュヘアーを清潔に整えていて、勤務外にピアスを付けているような様子も見られない。  密は大学にいる時はピアスを付けているので、勤務中はピアスホールの痕が覗いている。そして明るすぎる髪色もしているから、穴守とは真逆の印象を他のハウスキーパーにも他の客にも与えているかもしれないことを改めて思う。そしてそれがもったいないな、とも。  急だったのといま困っているのは食べるものがない事なので、さっそく惣菜を作ってもらうことにした。 「なにかアレルギーや苦手なもの、食べられないものなどありませんでしたよね?」 「ああ、はい。アレルギーとかはないですけど、出来たら薄味で出汁が利いてる味付けがいいです」  密にも告げたようなリクエストをすると、穴守は承知しました、と言って僕が買い揃えておいた食材を手に料理を始める。  手際よく出汁を取ったり野菜を刻んだりする姿は密と同じようでいて、どことなく違っている。穴守は料理番組のような流れる手際の良さなのだが、密はどちらかと言うと普段の生活が垣間見られるような慣れから来る手際の良さのような感じがした。  どっちがどうというわけではないのだけれど、人間味あるというのか、人柄が滲むのは密の方であるような気がする。わかりやすく言うと、穴守には横から話しかける隙がないのだ。張りつめたような緊張感がある。僕が実家などで感じていたのもこんな雰囲気だった。  こういうのがプロというものなのかもしれないなと思う反面、密の風景に溶け込むような自然さもまたある種のプロなのかなと思ったりもする。相手の生活の中に滑り込んでいつの間にか当たり前にいるような感じ。  密にはどこか人懐っこい雰囲気がいつも漂っていて、話しかけたくなる気やすさも併せ持っていたと思う。だから僕は初対面でいままで回数を重ねた後に少しずつ話していたようなことをするりと告げていたりしたのだ。  彼にはそんな不思議な魅力があったことを、いまさらに思い出す。 (思い出したところで、僕には密の気持ちに応えるのは無理なことに変わりはないよね)  過ぎった自分の言葉に更に痛みを覚えながら、僕は小さく溜め息をついて話しかける隙を与えない背中を見つめていた。  穴守は急だったにもかかわらず五品惣菜といくつかのおにぎりを作ってくれた。おにぎりはワカメご飯で、そのどれもが結構大きい。  密だったらきっとこの三分の二ほどの大きさに握ってくれて、もっと具が色々あるご飯にしてくれただろうな、なんてことを考えてしまい、僕はひとり首を横に振る。 「他に御用はありますか? 大掃除とかは無理ですが、三十分ほどならお時間ありますので」  惣菜を作り終え、調理器具の片付けも終えたあとに穴守はそう言ってくれたけれど、特にとっさに思い浮かばず、「いえ、大丈夫です」と即座に返してしまった。  三十分も時間があったら、密となら何をしただろうか。ふとそんなことを考えてしまう。掃除の出来のチェックをして一緒にやり直すとか、それともコーヒーを淹れてもらって一緒にチョコレートを食べつつ飲むとか、そういうことをお願いするかもしれない。  だけど、僕はいま同じことを目の前でニコニコと人が好さそうに微笑んでいる真面目な雰囲気の彼に頼む気にはなれなかった。決して穴守から受ける第一印象が悪かったわけではないのに、むしろ密よりも良かったかもしれないのに、そんな気が起こらなかったのだ。 「そうですか。では、一時間半分の御代で計算させて頂きますね」 「……あの、」 「はい、なにか?」 「密……淀川さんは、クビになったりとかは……」  依頼をキャンセルされることはハウスキーパーの評判を落とすようなことになるのではないかと、いまさらに気になってきて恐る恐る訊ねてしまった。  穴守は不思議そうな顔をしていたが、ふわりと笑ってこう答えた。 「ああ、それはないと思いますよ。ご心配頂きありがとうございます」 「いえ、べつに……」 「淀川はまだ新人なので御贔屓(ごひいき)にして頂けて嬉しいです。私が研修を担当したものなので」 「へぇ、そうなんですね」  淀川にも伝えますね、と言われたけれど、僕は曖昧にうなずくしかできない。昨日の今日で僕なんかにそんなことを言われて、密が喜ぶとは思えなくて。 「では、後ほど今日の御代をご連絡させて頂きますね。ご利用ありがとうございました」  穴守はにこやかにお辞儀をして静かにドアを閉めて去っていった。  ハウスキーパーとしてはきっと穴守はかなりプロなんだろうと思う。さっそく注ぎ分けて食べる惣菜は僕好みの薄味で出汁も利いているし、おにぎりの塩加減も薄めだ。依頼主のリクエストにしっかりと答えている点で言えば完璧と言える。  でも―― 「……なんか、物足りない。美味しいのは確かなのに」  呟きがポツッと手許の皿の上に落ちていく。おかずに混ぜて咀嚼(そしゃく)して飲み込んでしまえればいいのに、それだけが喉の奥で引っかかっているような違和感を覚えさせる。  折角作ってもらったのに、美味しいのはわかっているのに、心のどこかでコレジャナイて思ってしまっている。それが穴守に申し訳なくもありつつも、僕の中では無視できないほどに強い違和感になってそこにある。  半分ほど食べ終えた器とおにぎりを前に、僕は自分の胸を抑えてうつむく。じくじくとした痛みを感じて息苦しくなったからだ。違和感の存在誇示による痛みだ。  違和感の根源に何があるのか、僕はもうわかっている。わかっているからこそ、名前を付けてしまうのが怖い。  怖いけど、逃げるわけにはいかない――ようやく収まってきた痛む胸を撫でおろしながら、僕は小さく息を吐いた。
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