*4 思いがけない遭遇

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*4 思いがけない遭遇

「清田くん、今日のゼミ飲み来る?」  ゼミの講義が終わった直後、僕のところに一人の女子が声をかけてきた。  一応大学の二年生である僕は、来年から本格的に始まるゼミの前段階のプレゼミに属している。  一見すると真面目に講義を受けてレポートなんかを提出しているように思えるが、この大学の校風なのか、実際のところ学生同士の交流や親睦を深める名目で飲み会が多い。ゼミに実際に出席している学生よりも、毎週ゼミの後に開かれている飲み会に出ている学生の方が多い気がしなくもない。 「薫、たまには顔出せよ。今月一回も来てないだろ」  返事をどうするか迷っている僕の背後から、風磨が肩を抱くようにして声をかけてくる。僕らは建前では同じ学部とゼミの友達ということになっているから、過剰気味なスキンシップを拒む方が不自然なので僕はされるがまま肩を抱かれる。 「そう言って、僕にまたいろいろ出させる気だろ、風磨は」 「あれ、バレた? だいじょーぶ、今日はそうはならないようにするから」 「そうだよ、丸山くん。いくら清田くんが気前いいからって毎回甘えちゃダメだよ」  別に僕が気持ちよく気前良くしているわけじゃない。陽キャで調子のいい風磨がゼミの連中を煽るように飲み食いして、学生じゃまかなえないほどの支払いになったりするから、僕がカードで払ってフォローしているだけの話だ。そしてそれは奢りとされて戻ってくることはほぼない。  飲み会に限らず、何かにつけて風磨は僕にたかるように付きまとう。この前のように僕の家でセックスするのも、僕がゲイであることを知っていてそれを公にしない代わりに口止め料と体を差し出させられていることもその一つだ。  結局風磨がしつこく誘うので、今日は僕も一次会だけという約束で飲み会に出席する羽目になった。 「あーあ、今日は家で映画見るつもりだったのに」  ゼミ室から出て風磨とキャンバス内を歩きながら僕がぼやくと、隣を歩いている風磨がおや? と言いたげに顔を覗き込んでくる。 「なにそれ、俺誘ってる?」 「なんでそうなるんだよ」 「映画観ながらシたいってことだろ?」 「……そんな人を年中発情しているみたいに言うなよな」  軽くにらみ付けて吐き捨てて速足で歩き出しても、風磨は同じペースで構わずついてくる。意に介さずニヤニヤと笑ったままこうも言う。 「だってさぁ、先月なんて三日とあけず一晩中“一緒に遊んだ”のに、最近付き合い悪くない?」 「僕にだって予定があるんだよ」 「映画観るとか?」 「そういうこと」とため息交じりに返しても、「じゃあ今日飲み会まではどうすんだよ? 家に帰るのか?」と、引き下がる気配はない。  もし家に帰る、と僕が言ったなら、きっと風磨もついてくるつもりなんだろう。そしてその飲み会までの時間を“一緒に遊んで”過ごす気なんだろう。“一緒に遊ぶ”の内容は表で大っぴらに言えないことになるんだろうけれど。  普段であれば僕は言われるがまま彼を連れて僕の部屋に向かっただろう。そして“一緒に遊ぶ”んだ。  でも少なくともいまはそんなつもりは毛頭なかったので、僕は方向転換をして図書館の方へ歩き出した。 「どこ行くんだよ、薫」 「図書館」 「参考文献でも探すのか? まだ発表の順番じゃないだろ?」  風磨が立ち止まってだいぶ後ろの方で声をあげていたけれど、構わず僕は図書館へ向かう。「おい、マジで行くのかよ?」と、更に声が背にかけられたけれど無視して建物の中に入って行く。 「……っはー、めんどくさ」  図書館には特に用事はない。ゼミの調べ物はなくはないけれど、さっき風磨が言っていたようにまだ順番は先だ。でもだからと言って今日は風磨と空き時間にセックスするような気持ちではないので家に帰らなかっただけだ。  とは言え、あと数時間ぼんやりと図書館の中をうろつくだけなのも退屈すぎるので仕方なくゼミで紹介された本を探すことにした。  スマホにメモした本のタイトルを見ながら立ち並ぶ本棚の間を歩き回っていると、ふと、どこからかあの甘い熟れた果物のようなにおいがした。クセのある、あいつの―― 「あれ? 清田さん?」  聞き覚えのある懐っこい雰囲気の声が僕を呼ぶ。風磨のように遠慮なく踏み込んでくる感じでなくて、程よく距離感があるけれど親しみを覚えるあいつの声だ。  でも、なんでこんなところにいるんだ?  声に惹かれるように顔を向けると、三人ほどの学生がいて、その中のよく日に焼けた明るい茶髪に長髪の上背のある人影が見えた。薄暗い室内で見上げたその顔は僕を見てやわらかく笑う。 「……淀川、く……」 「ああ、べつに淀川でいいっすよ。なんなら密でもいいし」  ハウスキーピングに来ている時よりも砕けた様子で笑う淀川……それとも密というべきだろうか? とにかく彼はいま普段ウチに来た時に見るような作業服にエプロンではなく、ファストファッションブランドのものと思われるTシャツとくたびれたデニムを身に着けて、耳にはピアスを付けている。  一緒にいたやつらから、「密、誰?」と訊かれると、「ああ、ちょっとな。悪いけど用出来たからまたな」と言って彼らに手を振った。  一緒にいたやつらが去っていくと、密は改めて懐っこい顔を向けてくる。 「……えっと、密、はなんでここに?」 「ああ、そりゃ俺ここの学生っすもん」 「え? 学生? 香田大学(こ こ)の?」  そうっすよ、と言いながら密は肩からけているトートバッグに手を突っ込み、パスケースを出して更に学生証を見せてきた。確かに、そこにはこの大学の商学部の二年生であることが記されている。 「商学部……え、待って、同い年なの?」 「みたいっすね」 「……なんでそんな言葉づかい?」 僕が訊ねると、「ま、一応仕事離れててもお客さんだし」密はそう肩をすくめて笑う。  彼なりに気遣っているんだろうけれど、普段が普段の言葉遣いなのであまり効果は感じられなかったので、「べつにタメ口でいいよ」と、僕は苦笑した。  僕が微かに笑ったからか、密はより一層親しげな様子で近づいてきて、「清田さん、レポートでも書くの?」と訊いてくる。その呼び方に、僕はちょっとだけ引掛りを覚えた。こんな感覚いままでなかったのに。  何となく僕はいま、自分を淀川でなく密と呼ばせている彼のようになりたくなったのだ。それは張り合うというつもりではなくて、何と言うのか、彼が近づいてきたように僕からも近づいてみたい気がした。それが何故なのかは、わからないけれど。 「や、ただの暇つぶし。……って言うかさ」 「ん?」  僕はほんのわずかに緊張しつつも、そういうそぶりは見せないようにごく当たり前のように密の方を向く。密は、やっぱり懐っこい顔で僕を見ている。 「……僕のことも、薫、でいいよ」  なんでごく一部の人間にしか呼ばせたことがない呼び方を、まだ知り合って日が浅い彼にもさせたいと思い立ったのか、自分でもわからない。張り合っているつもりじゃなくての思いつきの動機が自分でもわからない。ただ、ものすごくドキドキしているのは確かだ。  窺うようにそっと視線を向けると、密は目を丸くして驚いていて、そして嬉しそうに笑ってうなずいた。 「それじゃあさ、薫さん。暇なら俺とお茶しに行こうよ」 「え、あ、うん……」 「よし、決まり!」  唐突な誘いの勢いに圧されてうなずいてしまった僕の手を取り、密は歩き出した。どこへ行くのかは告げなかったけれど、強引に近い形で手を牽かれることがあまりに新鮮でされるがままだ。  強引に触れられるのはさっきの風磨と同じはずなのに、不快な気持ちがしない。その心境の違いに気付きつつも、僕は深く考えずに密に連れられて歩いて行った。
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