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翌朝、朝の光を感じて意識が浮上した。
いつもは目が覚めると、しとねに温もりだけ残してお姿はないのに、今日はすぐ側で微笑んでいる美影様がいらっしゃった。
もしかしたら、これまでもこんな風に優しい目を向けてくださっていたのだろうか。
「み、かげさま……?」
「ああ。千鶴、おはよう。起こしてしまったか」
「お、おは、よござます」
寝起きのろれつが回っていないような甘い言葉になる。
私は身を起こそうとしたが、なぜか体が酷く重だるく、自力で起き上がることができそうにない。
「今日は一日ゆっくり寝ているといい。昨夜は無理をさせすぎたからな」
「え? ――きゃっ!?」
頭が完全に覚醒した。
そうだ。昨夜、美影様に抱かれ……。いや。昨夜どころか、明け方までだった気が。ただ――。
「昨夜、美影様は私をお食べにならなかったのですね。なぜかお尋ねしても……よ、よろしいでしょうか」
私をお側に置いてくださると言うことだろうか。共に生きたいと思ってくださったのだろうか。そうであれば嬉しい。そうであってほしい。
「は? 何だ? その疲労困憊の体でまだ私を求めているということか?」
「ど、どういう意味でしょうか。私が申し上げているのは、なぜ私を召し上がらなかったか――え? あの。昨夜おっしゃった、私のすべてをもらうというのは一体」
「そのままの意味だ。たとえ千鶴の心までは手に入れられなくても」
美影様に、右肩から傷跡の残る右腕へと愛おしげに撫でられ、昨夜、甘い刺激を覚えた肌が粟立つ。
「目も唇も声も呼吸も肌も髪の毛一本でさえ、すべて私のものにしたかった。自分のものだというしるしを付けたかった」
「つ、つまりそれは。体の、ち、契りという意味でしょうか」
「そうだ」
頬が異常に熱くなってきた。
もしかしなくても私はずっと勘違いしていたらしい。
「もしや本気で命を喰らうと思っていたのか?」
「は、はい。鬼神様の花嫁になった者は、二度と村に戻って来ないと言われていましたので」
「先代の頭領の妻は、世を見て回ると頭領と山を出たが、歴代の妻なら今も住んでいるぞ。この神影山における頭領は監視役みたいなものだ。百年の役目が終われば次の頭領が選ばれ、人間界から花嫁を迎える」
「そうだったのですか」
では、美影様の妻は、私が初めてということでいいのだろうか。
「ああ。しかし、それでよく喜んで身を捧げるなどと言ったな」
美影様は呆れたように苦笑いされた。
「み、美影様ならすべてを捧げていいと本気で思ったものですから」
「――っ。千鶴、そなたは朝から私を誘惑する悪いあやかしだな。お仕置きを与えるか」
「えっ、えっ。それは」
無理。
迫る美影様にあわあわしていると、襖がスパーンと勢いよく開いた。
「おっはよーございます、千鶴様!」
「おはようございます、千鶴様」
救いの神現る。
元気な鈴さんの声と真白さんのおしとやかな朝の挨拶が聞こえたかと思うと、また無言でゆっくり襖が閉められた。
――あ、そんな。
私は、救ってもらおうと伸ばした手を美影様によってしとねへと縫い付けられる。
無情にも救いの神は去り、私は精魂尽き果てるまで鬼に貪り食われた。
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