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1.わたしは幸せな娘
姉は可哀想な娘で私は幸せな娘だ。
なぜなら私より少し先に生まれた姉は、十八の齢に鬼神様の花嫁になることが決まっているから。鬼神様の花嫁とはすなわち鬼神様への供物となることだから。村の安泰のために命を捧げることだから。幼い頃に定められてしまった運命だから。姉の未来への道は閉ざされているから。
だから。
姉は可哀想な娘で私は幸せな娘だ。
たまたま姉より少し遅れて生まれた私は、姉のおかげで鬼神様の花嫁にならなくていいから。鬼神様への供物とならなくていいから。村の安泰のために命を捧げなくていいから。幼い頃に定められた運命などないから。私の未来への道はいくつも拓かれているから。
一つの季節が終わるたび、近付いてくる未来に悲観しなくていい。一つの季節が巡ることに泣いて暮らさなくていい。
だからお前は幸せな娘だよと、大人たちに繰り返し言われて育った。何度も何度も繰り返し。
両親から盲愛される姉は。
「あの子は限られた時間しかないから。可哀想な娘だよ」
清潔で上質な衣をまとい、美しく彩られる姉は。
「あの子は供物として美しく着飾っておかなければならないから。可哀想な娘だよ」
日々、贅沢なごちそうを口にする姉は。
「あの子は供物として貧相な体でいてはいけないから。可哀想な娘だよ」
肌白く艶やかで、手指にあかぎれ一つない姉は。
「あの子は慎ましくても愛しい誰かと幸せな家庭生活を営むことはないのだから。可哀想な娘だよ」
私の許嫁の宗一郎様と親密な姉は。
「あの子は本当の愛を育み、子を授かる喜びを知ることができないのだから。可哀想な娘だよ」
そして最後には、自分の罪深さとどれだけ自分が恵まれているかを私に説きつける。
「お前は幸せな娘だね。姉のおかげで、姉が望んでやまないものをお前は手に入れることができるのだから」
そう。
姉は可哀想な娘で私は幸せな娘だ。
「お前は幸せな娘だね。姉のおかげで、ひもじさを感じなくいいのだから」
「お前は幸せな娘だね。姉のおかげで、寒さに震えなくていいのだから」
「お前は幸せな娘だね。姉のおかげで、娘盛りの美しい姿でいられるのだから」
「お前は幸せな娘だね。姉のおかげで、恋など陳腐なものに振り回されなくていいのだから」
「お前は幸せな娘だね。姉のおかげで、幸せより辛いことが多い人生を経験しなくて済むのだから」
「お前は幸せな娘だね。姉のおかげで、命の期限に恐ろしさも無念さも感じる間もなく鬼神様に嫁げるのだから」
……本当に?
私は本当に幸せな娘なの? ――いいえ。疑問に思わなくていい。だってほら。
食べたこともないご馳走を振舞われたのだから。身に着けたことのない高級で真新しい白い着物を着せられたのだから。化粧を施され、美しいよと皆に褒め称えられているのだから。
「お前は私たちの誇りだよ」
物心ついて初めて両親が優しい目を向けてくれたのだから。微笑んでくれたのだから。抱きしめられたのだから。
「千鶴、本当にごめんなさい。千鶴の分まで宗一郎様との間に授かったこの子と懸命に生きていくことを約束するわ」
愛おしそうにお腹に手を当てる姉から、千幸から初めて謝罪されたのだから。
私は幸せな娘。
もう可哀想な姉を犠牲にして生き長らえる後ろめたさを感じなくてもいい。もう可哀想な姉を羨ましがる自分を恥じなくていい。もう可哀想な姉を妬む自分を嫌悪しなくていい。
だから私は――幸せな娘。
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