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会社への足取りは、重かった。まるで泥沼を歩いているように感じる。どう切り出せばいいのか。謝るべきか。開き直るべきか。もう会社まですぐそこというこの段階において、いまだどうすればいいかも考えられなかった。ただ、自分の心の中では、きっぱりとこの会社を辞めよう、その考えだけがあった。
「足立さん、足立さん」
背後から、叫び声が聞こえて振り返ると、同じ部署の後輩の男が、こっちに向かって走ってきていた。
「足立さん。なんで昨日、電話に出なかったんですか」
「えっ、ああ」
携帯電話には、何件も着信があった。しかし、それらをすべて無視していたのだ。
「もう、あれからすごかったんですから。とりあえず行きましょう」
彼は私の腕をつかみ、会社のビルへと走り出す。
「ちょ、ちょっと待て」
俺が叫んでも、彼は気にせず、ぐいぐいと引っ張られる。
オフィスに入ると、後輩たちの顔がこちらを向く。そして、一気にぱっと明るくなった。
「主任。もう来てくれないんじゃないかと思いましたよ」
「そうそう。昨日、主任が帰ってから、すごかったんですよ」
後輩の一人が語りだす。
俺が帰ってから、後輩たちが課長にくってかかったらしい。主任の言っていることが正しい、と。みんなが俺の味方になり、課長を責め立てたらしい。
「え、そんなことが」
俺は、あまりのことに、言うべき言葉が思い浮かばなかった。
「ほんと、主任の言葉に、みんなスカッとしましたよ。私たちの気持ちを代弁してくれました」
「そうそう。それで、課長が泣きそうになってて、ざまあみろって思いました」
後輩たちが、笑顔で語り合う。
「みんな」
それ以上は、言葉にならなかった。これ以上、何か口にすれば、感情が抑えきれなくなりそうだった。
「足立君。ちょっと来てくれるかな」
声がしたので、振り返ると、そこには部長が立っていた。
「は、はい」
そのしかめっ面から、良い話ではないことは間違いなさそうだ。
「昨日、三木課長と、言い争いになったらしいな」
個室に連れられ、ソファに座るなり、部長が重々しい口調で言った。
「はい」
かすれた声しか出なかった。
「実は、三木課長が、病気で一週間ほど休みたいと言っているらしい」
「えっ」
「三木課長の代わりをできるのは、君くらいしかいない。というより、君に指揮をしてもらいたいという意見がたくさん出ている」
その言葉に、俺の鼓動がとくとくと速くなる。
「課長が色々と君に言ったのは、申し訳なく思う。僕の方からもきつく言うよ。君にはこれからも、この会社で頑張ってもらいたい。よろしくな」
有無を言わさぬ口調に、「はい」と答えるしかなかった。
「それじゃあ、君を待っている後輩たちのところに早くいきなさい。じゃあよろしくね」
部長はそう言って、部屋を出る。ドアが閉まる音が響く。俺は一人取り残された部屋で、ただぼんやりとすることしかできなかった。
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