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おじさんは変態ではなかったようだ
今日の分の勉強はあっという間に終わった。
「今日の夕食がシチューで良かったわ。寒くなってきたから煮込み料理がおいしく感じるわね」
「ああ、朝晩はだいぶ冷えるようになったものな。そういえば、お前はもう酒が飲めるんだったな。それなら、これを飲んでみるか」
部屋の壁を掘り下げて温度が変らないようにしてある小部屋のワインセラーから一本のワインを持ち出して来た。この家ではワインが食卓に上るのは珍しい。おじさんは普段は麦酒しか飲まないし、ワインは輸入物が多いから割高だ。
「それは?」
「忘れたのか? お前が馬屋を燃やした時に持っていたものだ。いいものだったから寝かせておいた」
「ああ、あれ?」
私は五年前のあの日、このワインを飲んで川に身を投げるつもりだった。
あの時は、値段とアルコールの強さが比例すると思っていたのだから笑える。
「あの時は、お酒のことなんて何も知らなかったから、とにかく値段が高いものを買ったんだ。高いほうがふらふらに酔えると思ったのよね」
この国ではあまり葡萄が育たないからきっと南方からの輸入品だったのだろう。今ならどれほど高価なものかわかる。焼き印を施した長い美しいコルクで栓をされて、更に蜜蝋で封じられた贈呈用だ。
「飲んでみるか?」
おじさんは慣れた手つきでワインの栓を抜き、二つ用意したグラスに注ぐ。
「あんなに高かったのよ。おじさんが飲んで」
「飲め。成人した祝いだ」
「……別にめでたくなんてないし」
私はできることならずっと子どもでいたかった。
発育のせいで遅れていた月のものも十分な食事を与えられるうちにやってきてしまった。
大人になってしまったら、もうここにはいられない。
深い紅い色をした液体を口に含む。
きっと美味しいのだろうけれど、甘いわけでもないし、いくらか渋い。香りの強すぎる、慣れない大人の味がした。
飲み込むと熱を持って胃のあたりから体中に広がっていく。
「お前に良い結婚相手を探してやらなければな」
おじさんはグラスをくゆらせながら目を細める。
「そんなの要らないって」
「そういう歳だ」
「だって、たった五年の奉公で馬小屋を燃やした分の働きになったとは思えないし。食事も住むところも差し引いたら、私がもらった物の方が多いくらいよ」
「ボヤを出した分はお前が作ってくる商売の芽のおかげで十分なくらい返してもらった。それに、子どもが大人に守られて生活するのは当たり前のことだ」
おじさんは聖者のようなことを言うが、私にとっては残酷な突き放しだった。
「そんな……」
おじさんは私をどこかへ嫁にやることが、一番いい選択だと思っているのだ。絶望的な気持ちになった。
「おじさんは、私がちゃんと自立することが贖罪だって言ったたわよね……じゃぁ、これから先、ここを出て仕事をして身を立てるわ! 結婚はしないわ――私、ずっと考えていたんだけどね、副業をしながら娼婦として働こうとおもってるの。もともとマッチ売りじゃなければ春を売るつもりだったけど、あんな風に無茶なことをしようとしているのではないわよ。副業が軌道に乗ったり、お客がもう必要ないって言い始めたらおしまいだけど……」
「は?」
おじさんは目を丸くした。
「馬屋の分、おじさんに専売するっていうのはどう? おじさんが呼ぶ娼婦みたいにおじさんの要求を断ったりしないわよ。おじさんが変態だって、私は別に軽蔑しないから」
「は?」
おじさんは語彙力を失ったかのように口をあんぐり開けた。
「ちゃんと変な性癖のことは調べたの。首を絞めらたり、縄で縛られたり、鞭を打たれたり、おじさんがしたいことをしても大丈夫だから。ああ、でも、出来れば露出とか別の人と一緒にとかは勘弁してほしいけど」
「ちょ、ちょっとまて……なんだ、何の話だ?!」
やっと頭が追い付いてきたのか、ワインをこぼしながら立ち上がる。
「だって、おじさん、変な性癖を持て余しているのでしょ? だから娼婦たちが来ても相手にされずに帰られてしまうのではないの?」
おじさん専用で春を売る商売ができるというのなら、ここを追い出されても少しは寂しくないかもしれない。
「お前は、なにを馬鹿なことを言っているんだ!?」
「だって、毎回毎回、違う娼婦がやって来るのに、おじさんちっとも抱いた様子がないじゃない」
「ばっ……!」
開いた口が塞がらないようで、気付けのようにワインを呷り、目を白黒させて咽る。
しばらくゴホゴホしていたが、やっと治まったのか涙目で机をドンと叩いた。
「あれは、そういう奴らではない! どうしたらそんな結論にたどり着くんだ? 訳が分からん!」
「じゃぁ、どういう人たちなのよ」
おじさんは噴き出したワインの滴を拭きながら、私にそれまでの経緯を話し始めた。
「あるパーティーでおかしなうわさが流れてな。男色家らしい俺を誘惑して落とせたら、俺と結婚できるのだとかなんとか……」
「おじさん、やっぱり男色家だったの?」
「やっぱりとはなんだ。俺は単に結婚する気がないだけだ。その後、女性も男性も色々な奴が面白半分でやって来る。どれだけ説明しても納得しないのだ。そのうち友人がお節介なことを言いはじめてな。噂を消して回るのは面倒だから、一度限り相手をして、失敗すれば二度と来てはならないというルールを噂と一緒に流せと」
「だから、色々な人がやってくるのね。帰りに私を睨んでいくのは、血縁もない私がおじさんの家にいるから、邪魔に思ってのことだったのね」
そう言うと、おじさんは不都合なことがあるのか、腕を組んで難しい顔をした。
「いや、そうじゃない。女たちには『養女がいるのでその子が家督を継ぐが、その子の母になってくれるのか? 財産は娘にやるから一銭も手に入らないが、それでもかまわないか?』と言うわけだ。そう言えば皆引き下がる。どの女も金目当てだ。男の場合はもっと違う説得をしていた」
「ええ? だって、私、おじさんの娘じゃないわよ」
おじさんは五年間、一度だって私を家族だと言ったことはない。冗談でも言わないのだ。
「まぁ、まだ書類上では違うがな。お前を嫁に出すときは、うちの家名で嫁がせるつもりだったからそのようなものだ。それなのに何だお前のその人生設計は。俺相手に何を売るって?杜撰にもほどがある」
おじさんは怒っていたが、私は上の空だった。
方便とはいえおじさんが私を養女だと言った。おじさんの家名がつくなんて、それじゃまるで家族みたいじゃないかと思って、柄にもなく赤面していた。
ワインがグルグルと体内を回っている。
いいな、おじさんと家族。
「私……」
私はおじさんの家に図々しくも居座る方法を何通りも考えていた。
ここから出されてしまうのじゃ、どんな金持ちと結婚しても意味がない。私はおじさんがいるここで他の使用人たちとずっと暮らしていきたかった。
ここは居心地が良すぎるし、もう一人は嫌だ。
おじさんが家族だったらどんなにいいか……。
私は、ふわふわと妄想を膨らませながら、急に画期的なことを思いついた。
「ねぇ、おじさん。それって、万が一、誰かが誘惑に成功したらその人と結婚するってこと?」
「ああ、そのつもりだ。公言しているし、責任はとる。気持ちが動いたらその時はその時だ」
「それって相手は誰でもいいの?」
「誰でもいいことにしてあるから、ああやってよくわからない輩がやってくる」
緊張でごくりと喉が鳴る。
「――私でも?」
私はそれを口にしながら、私がどうしたかったのか悟った。
ワインのせいなのか、やけに大きな音でどくりと心臓が脈打つ。
ここに残れるかもしれない。ここに残りたい。
あわよくば一番おじさんに近い所で。
「何を言っているんだ。さては、つまらないことを考えているな? やめておけ、お前は単に住み慣れたここから離れるのが嫌なだけだ」
それはある。
でも、一瞬でそれだけではなかったのがわかってしまった。
あまり幸福が手に入らない境遇で育ってきたので、望み薄な事を考えるのは苦手だった。
望んだところで絵に描いた菓子は私の腹を満たさないから。
絵に描くこともしなかったご馳走が、マッチを擦った時の炎のようにいきなり目の前にあらわれたのだ。
「わ、分からないじゃない? だ、抱いてみたら気持ちが変わるかもよ? どこの誰だかわからない人にチャンスをやって、五年も懐に入れた私にチャンスがないのはおかしいわ」
おじさんはまだ、私では無理だ、可能性が無い、とは言っていない。
商人であるおじさんは、本当に無理ならそうとわかる言い方をする。
「はぁ……今まで来ていた者たちよりも、お前の方が分が悪いのが分からないか? 俺はお前を子どもだと思って生活してきたんだぞ」
きっと望みはある。
ハグをやめさせようとしていたし、最近はめったにおやすみのキスもしなくなった。少しは子どもではないと思っているに違いないのだ。
「もう十八よ!」
「ちゃんと結婚相手を探してやるから、おかしなことを始めるんじゃない」
「いいえ、出来るわ。私だってマッチを売っていたのよ。他の子たちはもっと違うものも売っていた。どうやって客を誘惑するかぐらい見てたわ」
「馬鹿なことを。そうならないで済むように勉強もさせたし、どこの家に嫁に行ってもいいようにマナーの教師もつけたんだ」
おじさんは私の幸せはどこか裕福な所に嫁ぐことだと決めつけている。
私が本気だと分からせなければ、仕事の速いおじさんのことだ、数週間のうちに嫁ぎ先が決められてしまうだろう。
「見てなさい! 吠え面かかせてやるわ。……ええと、なんだっけ……服をはだけて……」
私はえいやっと上着を脱ぎ捨てる。
「そんな思い付きだけの奴に誘惑されるわけがあるか、馬鹿め」
おじさんは腕を組んで私を見下ろしている。
何事にも心を動かされないような態度だが、その実、視線が泳いでいる。
長く伸びた髪を解いて、首元を寛がせて、胸のふくらみをはだけさせる。
何を食べたのが良かったのか、胸だけは良く育った。おじさんは胸を強調するような服は絶対に作ってくれなかったから持ち腐れだったけれど、私が娼婦になったらなかなかの武器になるに違いない。
勢いで下穿きも脱いでしまう。
「ちょっ……」
やはりちらちらと見えていたのか、慌てて両手をこちらに向けて、やめさせようとしてくる。
「それで、膝を立てて、中を……」
ソファに背中から飛び込んで、足を左右に割って、ドレスのすそを一気に引き上げる。
「まて、まてといっ……」
今まで隠してあったところにひやりと外気が触れるのを感じた。
「ええと、何だったかしら?『旦那様、お情けをいただいても?』」
なるべく媚びを含んだ上目遣いでおじさんに訴えかける。
おじさんは仰天して真っ白になった。
そのまま私の秘部を凝視していたのに気がつき、慌てて顔を背けたが、大事な所はすっかり見えてしまったはずだ。
「――っおまえ、どこでそんなことを?! 今まで誘惑にやってきた奴らでも、そんなはしたない誘い方はしなかったからな!」
顔を背けたまま放たれる怒号が壁から跳ね返って響く。
「ええと……この間、夜会で会ったナイジェル商会のマリー様に借りた、閨の作法の本にかいてあったんだけど……」
おじさんは血管が切れそうなほど真っ赤になって、無言で私に暖炉の前に置いてあったひざ掛けを投げてよこした。完全に怒っている。
「あはは……だめだった?」
おじさんは両手で顔を覆って震えている。怒っているようだ。
その後、めちゃくちゃ説教された。
おじさんの説教は長くてしつこい。
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