おじさんは使用人から愛されている

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おじさんは使用人から愛されている

   その日から私とおじさんとの戦いが始まった。  おじさんは私に次々と結婚相手候補の青年を紹介してくる。  今日紹介されたのは私より二歳年上だが、まだ頭にヒヨコの羽がついているような平和そうな青年だった。  ヒヨコ男は今回が初めてではない。無害で誠実そうな青年ばかりに会わされる。みなすごく善良だ。何羽もいるヒヨコの中から一羽選べと言われても困る。  だって、みんなおんなじに見える。 (同じ金色のふわふわなら、おじさんのブロンドが一番好きなのに)  痺れを切らしたおじさんが、見た目の好みはないのかと姿絵を何枚も持ってきて探りを入れてくる。姿絵の青年たちは髪の色や体格はそれぞれ違うのに、不思議とどれも同じに見える。 「見た目の好みね……私、人の見た目に好みを言えるほど――」  姿絵を差し出して難しい顔をしているおじさんの横顔が目に入り、大変なことに気がついた。  見た目でこれといった者がいないのは当たり前だ、おじさんと比べたら誰も彼も平凡な顔ではないか。  おじさんの睫毛は髪よりワントーン濃い金色で、長く深い青色の目に影を落とす。  子どもの頃は光が差すと金細工に青い石がついたブローチのようだと思っていた。ふさふさと瞬きするのが気になって触れさせてくれと強請ったくらいだ。  あの頃から一番美しい男はおじさんだった。  おじさんの友人の医者も筋肉隆々の美丈夫だったけれど、先生の腕に触れたいだなんて思ったことは一度もない。触れたいと思うのはおじさんだけだった。    ――そうか。  これはひょっとすると……。  意識しだすと坂道を転がるように今まで形にならなかった感情の全てが恋だったのだということに帰結する。  そうか、これが恋だったのか。    真剣に姿絵を見比べるおじさんの頬に手を伸ばす。 「私、この中だったら、おじさんの顔が一番好きだわ」  言ってみて、私はひどく赤面した。  たった今、心臓があることに気がついたようで、動悸がしているところに掌を当ててみる。  今までどうやって暮らしてきたのかわからなくなってしまった。  私は何度もおじさんに抱擁を求めてきた。お休みのキスも強請(ねだ)ったかも知れない。夜が更けてもまだ話をしたくて、勉強道具と枕を持っておじさんの書斎でねばったこともある。  パーティーでおじさんが女性から声をかけられるのが面白くなかったし、おじさんに届く見合い写真らしいものに火をつけてやりたい気持ちになったこともある。  ――なんだ、ぜんぶ()()だった。  気がついてしまった今は転げ回りたいくらいに恥ずかしい。  病気のように苦しい。こんな気持ち、見ない振りをして当然だ。  世の少女たちは、本当にこんな苦しさを抱えて毎日明るく生活しているのだろうか。 (こんな不安定なままで生活するの、無理じゃない? ああ、だから令嬢たちは、やけに甘い物ばかり食べているのか)  何をしていても、おじさんのことを考えてしまう。  一緒に行った場所を通っただけでも、夕食の準備の手伝いをしていておじさんの好物を考えるだけでも、空や庭木を見ても、壊れたかのようにキンと胸が痛んだ。  おじさんは、その一件以降、出会った頃のようにもさもさと髭をのばし始めた。私を自分から遠ざけるつもりなのだ。  私たちの騒ぎは使用人達に筒抜けで、家の中はおかしなことになってきている。 「エマ、旦那様はお酒を召し上がった後、気が緩むのではないだろうか。少し酌をとってみたらどうだ?」  執事のトムさんがおじさんの好む酒を食後に書斎に用意してくれた。  うっかりおじさんに飲ませる前に本を読みながら味見をしていたら、強い薬酒だったようで、私が前後不覚になって、おじさんに頭から突っ込んだ。どこかの骨にぶつかったようで、おじさんが呻くのが聞こえたけれど、確かめることが出来ないくらいふらふらだ。  足元がおぼつかなくてそのままおじさんの腕の中を堪能していたが、途中から記憶がなくなった。  おじさんがやけに近いところで何か言っていたようだが、頭がぐるぐるとして、何を言われたのかほとんど覚えていない。  酒の濃さにこんなに違いがあるなんて聞いてない。  もちろんおじさんに頭痛を抱えながら説教を受けたが、トムさんにも一人で酒を飲まないようにときつく言い付けられた。  次は料理長が得意そうに私の肩を叩く。 「エマ、旦那様の食事にだけ精のつくものを仕込んでみたんだ。今日あたり夜に行ってみろ」  料理長は自慢の黒い髭をチリチリとひねりながら怪しげな食材をちらりと私に見せた。  およそ食材とは言えないような見た目のものばかりだったが、出来上がった料理は見た目も匂いも美味しそうだった。  おじさんは美味いと褒めながらそれを完食したが、その後おかしな様子はない。  今日の作戦は、書斎で夜通しチェスをして、そのままベッドへ潜り込んでやろうというものだ。     チェスは楽しかったが、おじさんはすこぶる元気でベッドへ行く様子がない。  戦局はおかしな方へ向かっていた。 「エマ、勝ち逃げは良くない。もう一局だ」 「おじさん、弱いんだからもうやめなよ」 「いや、次は勝てる気がする」 「じゃぁ、もう一戦だけ」  おじさんはチェスがすこぶる弱い。だからと言って手加減してやる気はない。  私だってチェスが好きなのだ。おじさんを負かせる唯一の遊びだから。 「――もう一回」 「えええ? もうやめようってば」 「まだやれる。今日こそお前を負かす」 「しーつーこーいー!!」  もう何局付き合ったかわからない。おじさんは私に勝つまでやるつもりのようだ。  今頃になって料理長が言っていた「精がつく」の意味がわかってきた。 「エマ、もう一度だ」  おじさんの目が血走っている。私は疲れて涙目だ。 「もう無理。あきらめて!」    結局、体力の無い私の方が先に寝てしまって、朝、自分のベッドで目が覚めた。  失敗だ。チェスは全勝した。  それ以来、おじさんは私とチェスをしたいと言い出さない。 「エマ、旦那様がお風呂に入っていらっしゃるわ。特別な入浴剤を入れといたの。私の代わりにタオルを持っていってそのまま籠絡(ろうらく)しておいで」  女中頭のニーナは、タオルと一緒に怪しげな液体のはいった小瓶を私に持たせた。処女の痛みを和らげるものらしい。  ニーナは娼館で働いていたから、色々な手管を伝授してくれるが、どう考えてもそれをおじさんに使ったら嘆かれる。  薄着で背中を流しに行ったら、ニーナが用意した湯に粘度があったようで、足を滑らせてそのままバスタブに落ちた。勢いで小瓶が洗い場で割れて淫靡な香りが浴室に広がる。  びちゃびちゃに濡れて、お湯の中でおじさんの()()()()を押し潰してしまったようで、私ともつれ合って身動きが取れないまま、おじさんは声にならない悲鳴をあげた。大丈夫だっただろうか。  慌てて私も悲鳴をあげたら、女中たちがわらわらと駆けつけて、何故かおじさんのほうが叱られていた。  そのあとやっぱりおじさんに叱られた。  主に薄着をしていたことについての説教だ。 「エマ、落とし穴を掘ろうか? 旦那様と一緒にお前も落とし穴に落ちるというのはどうだい? 結婚すると言わない限り引き上げてやらないんだ」  庭師のワグナーがとうてい成功しそうにない提案をしてきた。  もう何だかやけくそだったし、他の方法も考えつかなかったから、おじさんが通りそうな所に穴を掘り始めた。 「ラース様は、私がお嫌いなのかしら」  庭木の植え替えに良さそうな穴が掘れた所で、スコップにもたれてため息をつく。 「いや、そんなことないだろう。ただ戸惑っていらっしゃるのさ。馬屋を焼いた醜いアヒルの子が、白鳥になっちまって、羽が窮屈だろうと誤解して、慌ててどこかに放そうとしなさってる」 「私、白鳥みたいな立派な鳥じゃないわ。もしそうだとしても、私、醜いアヒルのままでいたかった」  世話の焼ける子どものままだったら、ここにいられたのだろうか。  大人になってしまったのを少し悲しく思っている。   「エマ、お前はただの白鳥じゃない。おいらたちがせっせと餌をやった丸々肥えた美味そうな白鳥だ。金の卵も産む。旦那様が落ちないはずはないさ」  ワグナーの日焼けした顔の皴は五年で深くなった。  口角の下がった皴じゃない。たくさん笑った優しい皴だ。 「少なくてもこの穴には落ちないと思うわ。それに、白鳥は美味くないって料理長が言ってたわよ」  ワグナーは傷跡だらけの顔をもっとしわくちゃにして笑った。    少し経って、穴を掘っているところをおじさんに見つかって、掘った穴を埋めるだけじゃなくて、草むしりの雑用もさせられた。  だめだわ! 使用人たちと遊んでばかりでは、おじさんに結婚相手を決められてしまうのに。 ✳︎ 「エマ、残念だけど、あなたのやり方では永遠にラース様に振り向いてもらえるとは思わないのだけど……」 「わかってるわよ」  ため息混じりにナイジェル商会の一人娘、マリーが手をヒラヒラとさせる。  マリーは指先まで手入れが行き届いていて、絵画から抜け出したようなお嬢様だ。赤毛をくるくると手に巻き付けて片眉をあげているのは何か悪いことを考えている時だ。  愛らしい顔をしているのにマリーは性癖をこじらせているのだ。  卑猥な遊びに対する知識が深くて、恋人が何人もいるらしい。  この間家に招かれて、うっかり時間を間違えたら、マリーが男に足指を舐めさせているところに出くわしてしまったのは忘れたい記憶だ。 「私に任せておいて。これならいくら堅物のラース様でも、股間のカタブツを暴走させるにちがいないわ」  周りに他の人の目がないのをいいことに、マリーが卑猥なハンドサインをしてくる。  そんなの春を売っていた先輩マッチ売りだってしたことがない。なかなか下品だ。  マリーの辞書には貞淑などという言葉は載っていないので仕方ない。 「私が素敵なシナリオを書いてあげましょう! びちゃびちゃに濡れたエマが、その無駄に育った肉袋で淫らに扱き上げれば、ラース様だって枯れるほど胤を撒かずにはいられないわ。既成事実をつくるのよ!」  何か言っているが聞き流すことにしている。  悪い予感しかしないのに、直ぐにマリーから奇妙な荷物が送られてきた。 『以下の手順を覚えること』  あやしい手紙も添えられている。  絶対ろくな作戦ではないのはすぐわかったが、それでもマリーが手配したものを持っておじさんの部屋に忍び込むことに成功した。
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