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おじさんは颯爽と現れた
あれからおじさんはあまり家に帰って来ない。
店に泊まり込んでいるらしくて、トムさんが頻繁に荷物を届けにいっている。
あんなことをしてしまって、私は刑を執行される罪人になったような気持ちで過ごしていた。追放まであと少しだと思うと気が滅入る。
そんな時に私に来客があった。
マリー以外、友人らしい友人もいないから私の客だと聞いて首を傾げた。
どんな用向きの来客かわからないし、失礼があってはいけないからとニーナに手伝ってもらってドレスを着つけてもらう。
流行の後ろが膨らんだり袖が広がったりしたものとは違う、スタンドカラーの落ち着いた仕立てだ。普段着として作られたものだが、日常で着るのは気がひける値段で、いつもはクローゼットに仕舞ってある。おじさんが家にいない時は特にだらけた格好をしているから、これを着ただけで背筋が伸びる。
私を訪ねて来たライアン・ハーヴィと名乗った紳士は、おじさんとあまり変わらないくらいの年齢に見えた。気取った明るい色の上着に洒落たスカーフを巻いて、いかにも遊び慣れている様子だ。
ステッキを振り振り、私を値踏みするように見る。
ステッキを持っているが足が悪いようには見えないから、きっと洒落者の間での流行なのだろう。
「祖父から、面白いお嬢さんがいると聞きましてね」
あまり似ていないが、紳士はコーネル・ハーヴィ翁の孫らしい。
「ここには、お嬢さんと呼ばれるような歳の者は私くらいしかおりませんから、きっと私の事ですね。面白いかどうかはわかりませんので、私ではないような気も致しますが」
「なるほど、これは確かに面白いお嬢さんだ。それにたいそう美しい」
そう見えるとしたら単に服のせいだろう。おじさんに誂えてもらった服がみすぼらしいはずはない。
おじさんは趣味人ではないが堅実な美的感覚をしている。馬子にも衣裳とはよく言ったもので、おじさんの選んだ服は、背を伸ばして着るだけで私を普通以上の見栄えにする。
「今はこのように着飾っておりますが、ラース様に世話を焼かれての事です。実を申しますと、私はたいそう卑しい出自でございまして、末は娼婦をやって生活していくつもりのつまらない女でございますよ」
私はコーネル翁が孫息子をこの屋敷に向かわせた理由がうすうすわかって、わざとライアンが幻滅するようなことを言った。
以前から、私を気に入ったコーネル翁に、ぜひ孫の嫁に来ないかと打診されていたのだ。
おじさんには報告していない。コーネル翁は大会社の創立者だ。まさか私なんかに本気で孫息子をすすめてくるとは思わなかったのだ。
それにあの時は、万が一そんなことになっても、おじさんの利益になるならそれもいいかと思っていた。今はなんだか気が重い。
来訪の先触れもなくやってきたライアンは、ケチをつけるように屋敷を見渡しながら屋敷にあがりこむと、応接室まで入って来てしまった。
先に保護者であるおじさんに私への面会を打診するべきなのではと思うが、そういえば私は根無し草のマッチ売りだ。それに保護者が必要なほど子どもでもないし、良家の縁談のような手順でやりとりされるほどの身分でもない。
それなら、猫の子をもらってくるくらいの挨拶で事足りるのかもしれない。
トムさんはお茶を出しに来たが、心配して客間から出て行こうとしない。
私に「早く追い返せ」と目で言っているのがわかる。私だってそうしたいのはやまやまだ。
コーネル翁は息子が駄目にしてしまった孫息子を憂いていた。
会社を相続した息子は孫に贅沢をさせて育てた。贅沢が悪いことではないが、生まれてからずっと人の金で楽しく生活しているライアンは趣味人にはなったが、仕事もせず、いつまでもふらふらとしている。自立しない孫をどうにかしなければと、いつも愚痴ってた。
「それでどんな御用でございましょうか?」
「君をここから助け出してあげようと思ってね。聞けば、ラース殿は女性を愛せないようだし。君は女性除けにここに留め置かれているだけなのだろう?」
「はい?」
「その役割も君が成人して不要になったようだね。ラース殿はあちこちの青年たちに声をかけて君の嫁ぎ先を探している。女性らしくなった君を厄介払いしたいのか、それとも君を嫁がせて若い青年と仲良くしたいのか……まったく酷いものだね」
なんとも一方的で不躾な言い分に、開いた口が塞がらない。
なるほど、おじさんが噂を放置した為に大変な誤解がでまわっているようだ。同情的な表情を作ってステッキをぶんぶん振り回す。室内ではやめてほしい。
「僕を頼ってくれてかまわないんだよ。祖父が言うには君はたいへんな才媛だそうだが、君ほどの容姿の女性なら、仕事などさせずとも連れて歩くだけで皆に羨ましがられるな。かわいそうに。粗末な身なりをさせられて、使用人に交じって下働きのようなことばかりさせられているのだろう? 僕の所に来れば遊んで暮らせるようにしてあげよう」
確かにこの孫息子はてんで駄目だ。
「それはそれは、面白いことをおっしゃいますのね」
笑みが引き攣るのを感じたが、腹が立ったからといって目の前の茶を客に浴びせかけるのはいけないことだとおじさんは言うし。
耐えよう。早く帰ってもらおう。
「ハーヴィ家の家名を名乗れるようにしてやろう。君が僕の所に嫁いでくれば、僕も安泰だ。いや、本当に君が醜女でなくて良かった。これは、思ったより簡単に話が進みそうだ」
「はぁ」
どうやって追い返そう。馬屋から馬糞を汲んできておけばよかった。
こういう気取った馬鹿にはうんと程度の低い嫌がらせが効くのだ。
「祖父があんまり君をすすめてくるから、どんな堅物が出てくるのかと思っていたんだ。形式だけでも娶るとなったら社交界に出られるくらいでなくてはキツいだろ? しかし、よかった! 女としても中々いいじゃないか。あの頑固爺の割には気が利いている」
服の中を想像して言っているのか、私の服の起伏に沿って視線が動いている。
こういう視線は見たことがある。娼婦を品定めをしている人がよく見せる顔だ。
「お客様……」
トムさんが見かねてライアンに声をかける。さすがに執事が客を追い返すのはまずいのではないだろうか。その点、私はもうすぐここから出て行く身だ。多少やらかしても大丈夫だろう。
私はトムさんが怒り出して箒でも持ち出してくる前に口を開く。
「ライアン様、どうやら私を妻にと望んでいらっしゃるようですが、遊び暮らせるなんて、何を根拠にそのようなことをおっしゃっているのでしょうか? コーネル様の妾にでもなるならまだしも、ライアン様に嫁いだからといって楽な暮らしができるとは思えません。聞けばライアン様は仕事をお持ちでないとか? それで、私と結婚して、どうやって生活していくおつもりですか? 私はいくらでもこの身一つで生きていけましょうが、仕事を持たず、妻を娼婦として働かせて生活していると噂されてはお困りでしょう? まぁ、少しやんちゃをなされば実家から追い出されてしまいそうな方には私のような馬の骨がお似合いだっていうコーネル翁の皮肉なら面白いですけれど」
ああ可笑しいと笑ってやると、やっと私が言う通りにならないようだと気がついたらしい。
「何だと……」
苛つき始めてとステッキを揺らすライアンに、手ごたえを感じた。口喧嘩は得意な方だ。
嗜虐的な気持ちになりながらさらに言葉を続ける。
「あら? それとも、もしかして私が片手間に始めた賤しい商売をどこかでお知りになったのかしら。『消えないマッチ』……街で娘達が売って行列になっているのをご覧になった? あれはまだ、男の人を養って差し上げるほど大きな商売ではありませんのよ」
私はトムさんの勧めで商売を立ち上げた。
最初は小さな商売だった。衣食住が整ったところから始める商売は、マッチを売っていたころに比べて軌道に乗るのが早かった。おじさんの店の一角で焼き菓子や、雑貨を売ったり。そうしているうちに、傾きかけたマッチ工場の主と知り合い、立て直しの手伝いをしている間に『消えないマッチ』を開発した。
今は道端でマッチを売っている少女たちが売るのは春ではない。食事が出る寮住まいをしながら『消えないマッチ』を売っている。
売り上げのほとんどは彼女たちと工場主の懐に入るから、私のもうけは少ない。私が儲ける為にはもっと多くの人に売ってもらわなければ。
おじさんやコーネル翁からしたら吹いて飛ぶような小さな商売だが、マッチは好評で評判を聞き付けたご婦人や農家の人がマッチ売りの娘たちの前に行列する。ありがたいことだ。
「共同であれを活計にしたいという事でのお誘いなら、今後の商売の計画をお聞きしなければなりませんね。ですが、商売の相談でしたら余計にラース様を通していただかないと。何か誤解されているようですけれど、ラース様は単に私の夫を見繕っているのではなくて、私の商売を一番高くかってくださる方を探しているようなものなのですよ」
後半は状況を言い換えた嘘だが、私を娶る夫は私の商売も引き継ぐのだから、結果そうなるはずだ。
「な……そ、それなら、その商売のためにハーヴィ家と繋がりが必要だろう?」
「要りません。必要ならコーネル翁に直接打診致します」
どうやら、ライアンは自分が求めれば私が喜んで結婚すると思っていたらしい。
私が断ると明らかに焦り始めた。
「つれないな。しかし気が強いのもなかなかいい。そうだ、今から馬車で連れ出してやろう! ハーヴィ家の財力を見れば気も変わるだろう」
ライアンは本当に焦っているようだった。私に近づき腕をとってソファから立たせると強く引いて外へ誘う。
ライアンにとって女性はハーヴィ家の財産に付き従う存在だったのだろう。ライアンの決定に否と言った者は無く、ハーヴィ家からもたらされる富の為にライアンに尽くす者たちだったはずだ。
「お待ちください!」
「いや、この娘は貰っていく。うちに来れば気が変わるだろう」
トムさんが慌てて、私たちを追ってくる。家の者達もいろいろな所から顔を出してライアンを睨んでいる。
なるほど。ライアンは私を妻として連れて行かないと何かまずいことがあるのだ。
ここの使用人は皆、荒事に長けている。
相手がどんなに金持ちだろうが身分が高かろうが関係ない。これ以上私が何かされれば、ライアンを無傷で帰しはしないだろう。
(おじさんがいない時に、困ったなぁ……)
「うちの者を連れてどちらにお出かけですか? 紳士的なお誘いには見えませんが」
声の方を見ると、入り口に黒い燕尾服をきたおじさんが立っていた。
久しぶりにみたその顔は綺麗に髭を剃り落として、髪も整い一分の隙もない。少し痩せて迫力もある。
私の方に手を伸ばし、手招きをするのでライアンの手を叩き落としておじさんの懐へ飛び込む。
ぎゅっとしがみつけば、同じ強さで抱き込まれる。
――よかった。
さすがおじさんだ。何か起きる前に来てくれた。
「ライアン・ハーヴィさんですね、お初にお目にかかります。おじいさまとはエマが仲良くさせていただいているようで」
おじさんは一応にこやかに挨拶する。ライアンもスカーフの辺りをもぞもぞさせながらどうにか体裁を取り繕うが持っていたステッキが壁に当たって不格好な音を立てた。
「貴方がラース君か。聞けば、なかなか羽振りがいいようだね」
「とんでもない。ハーヴィ家からすれば吹けば飛ぶような商売です」
慇懃に微笑むおじさんは応接室にライアンを戻すつもりはなさそうだ。
「なんでも、結婚相手にエマを御所望だとか?」
「ふん、男色家の貴殿には抱けない娘だろう? 嫁ぎ先を探しているとか?」
「何か誤解があるようですが、まぁいいでしょう。お爺さまにもご連絡いただきましたが、どうにもエマがこの家から出たがらないようで、手を焼いておりました」
「それなら話は早い。うちの実家は知っているだろう? エマに不自由な思いはさせない」
「もちろんハーヴィ家のことは存じておりますが、お断りいたします。それなりに厳しい基準を設けての婿探しでしたので」
「ハーヴィ家では不服というのか?」
「滅相もございません、ハーヴィ家に嫁がせるのには何の問題もありません。ただ、コーネル翁から、孫息子が求婚に来るが、ハーヴィ家の者ではないと思って判断してくれと依頼されておりますので」
「なっ……」
「お祖父様から他に何を言付かっているか、お聞かせしましょうか?」
ライアンは顔を赤くしたと思ったら、最後通牒を聞かされているのがわかったのか、次第に顔色を失っていった。
「確か、ライアンさんがうちのエマを妻にすることに成功したら、ハーヴィ家の家督を継ぐ候補者に入るのでしたね。コーネル翁はこうおっしゃっております――少しでも実家の財産をあてにしたような口説き文句を言っているようだったら、家から追い出すつもりだと。自分でエマの才能を見出し、パートナーとして請い、事業を起こすような素振りがなければ見限るつもりだとも――」
「そんな……」
どうやらこの求婚劇はコーネル翁の監督の元、孫息子を判断するために行われたようだ。
あの何を考えているのかわかりづらいコーネル翁らしい方法だともいえるが、それに巻き込まれたこっちは散々だ。
「それに、申し訳ないが、一足遅かったのです。今しがたエマの嫁ぎ先が決まりましたので。どちらにしても、諦めていただかなければなりません」
それを聞いて私の体はびくりと震えた。
――ついに決まってしまったのか。
おじさんの決定を顔を上げもせずに聞いていた。
嫌だ。私はついにおじさんに捨てられてしまうのだ。
嫌だと縋り付く私の背を撫で、おじさんは私のつむじに一つ、口付けを落とした。
「待ってくれ、その娘を連れて帰らねばならないのだ。そうだ! どうだろう、その娘をくれるなら僕がラース君と枕を交わしてもかまわない。他の若い男を紹介するのでもいい」
「いや、私は……」
なんだかめちゃくちゃなことを言い始めた。
ライアンは本気でおじさんが男性を好むのだと思っているようだ。
さっきみたいな暴言をおじさんに聞かせるわけにはいかない。
「ラース様は黙ってて。この人と話すと頭が悪くなるから」
「待て、エマ……」
「ライアン様、一つ思い違いをされてます。その身……というか尻を投げ出す姿勢、なかなか献身的で素晴らしいと思います。ですが、ラース様は男色家ではありませんから、何の取引にもなりませんよ。ラース様と何を交渉しても無駄です。わからないのなら、その尻に箒でも突っ込んでやりましょうか」
「な、なんだと」
「今日の失態をコーネル翁にありのままに話すのは簡単です。私、コーネルおじいちゃんにライアン様の代わりに孫になってほしいと言われるほど仲良しですし。でも、今日あったことをそのまま伝えたら、ライアン様のお立場がどうなるかわかりませんわよね? あーあ、私の大事な人の名誉を汚したり、屋敷の皆を見下したような目で見たり……コーネルおじいちゃん、そういうの嫌いですもの。孫ならご存知よね?」
「いや、待て、それは誤解だ……」
「誤解なものですか。私、ラース様の嗜好がどうであっても、いいのです。女性が好きでも男性が好きでも関係ありません。人からどう見えても、ラース様は私の幸せを願って慎重に嫁ぎ先を選んでくれているだけです。ですから、先ほどのライアン様の侮蔑を許せません。うちの者達を見る目も、すねかじりのお金で私をどうこうしようと思っている所も大嫌いです」
「違うんだ、エマ、悪かった。謝るから……」
ライアンは、すっかり慌てて私を宥めようとしてくる。よほど家から追い出されるのが嫌なようだ。
「帰ってください。コーネル翁に何も報告されたくなければ、二度とここにはいらっしゃらないで」
「分かった。頼む、僕が今日ここに来たことはおじいさまには言わないでくれ」
「とっとと、お帰りください」
「分かった帰る、かえればいいんだろっ。おじいさまには言うなよ!」
ライアンはそそくさと帰り支度して後ろを何度か振り返り、悪態をつきつつ出て行った。
「ごめん、おじさん。なんだか大変なことに巻き込んじゃって」
「いや、俺も悪かった……が、どうしてコーネル翁から縁談話があったことを俺に黙っていた」
たいへんだ! おじさんの機嫌が不穏だ。
「え、ええっと……」
「報告、連絡、相談、それが大事だと何度も教えたよな」
そうだ、おじさんの説教はここからが長いのだ。
「ええと、そうよね……わかってたの、でもね……」
「報告、連絡、相談」
無表情にそれだけを繰り返す。
「はい、そうだよね。わかってますってば」
「エマ、報告、連絡、相談」
調子よく頷いたが、どうやら今回は許されないらしい。
「ごめんなさい。報告、連絡、相談すればよかった」
「あれだけ言ってまだ足りないのか。 報告、連絡、相談」
「報告! 連絡! 相談!」
やけくそ気味に大声で復唱する。
おじさんは片眉を吊り上げて私の言い訳を待っている。
はぁ、今日もこれから長い説教をもらうのか。
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