おじさんの説教は長くて陰湿だ

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おじさんの説教は長くて陰湿だ

「マッチは要りませんか?」  その日も私はマッチを売っていた。  物乞いと間違えられて小銭を受け取っただけで、今日は一つも売れていない。 (そりゃそうよね)  マッチなんて、売れるはずがないのだ。  しかも年の瀬にマッチを切らしている家なんてそうそうあるはずがない。 「マッチは要りませんか? 黄燐(おうりん)の使われていない安全なマッチですよ。擦り損じがありません!」  声を張り上げても、誰も足を止めない。  それでもマッチ売りとして在庫を抱えているうちは、私は間違いなくマッチ売りだ。  私と同じようにマッチの在庫を抱えた娘たちは、今はせっせと春を売って稼いでいる。  哀れそうに売れば春の値段がつりあがるのよ、と自慢げに言っていた。  体の小さい私には、まだ売れるのはマッチだけ。それに、売れたとしても春を売るのはまだ怖い。  あの手この手で売り文句を考えては、必死にマッチを売り込んでいた。だというのに、ポケットの中には、さっき老紳士に(ほどこ)された小銭しか手持ちがない。  早くマッチを手放してしまいたいのに、さっきの老紳士はマッチは要らないと言って手ぶらで去って行った。  マッチは売れないのだ。もし売る物を選べるなら別の物がいい。  今日はもう夜露をしのぐ場所もない。  空き家だと思って他の少女たちと身を寄せ合って寒さをしのいでいた廃屋(あばらや)も、今朝がた家主と名乗る者がやってきて追い払われたところだ。  今日が終われば新しい年が明ける。  雪が降らないだけまだましだが、夕方になって風が強くなって酷く冷える。  乾いた冷風がしもやけとあかぎれだらけの体を痛めつけるけれど、ぐっと空腹の腹に力を入れて耐える以外に(すべ)がない。  しもやけで赤黒くなった頬のせいで、子どもでも買うような変態ですらすら私に声をかけない。 (――ああ、唇さえ凍りそう)  休暇に入っているので外を出歩く人も少ない。  私を視界に入れないようにして、人々は外套の前を押さえて足早に通り過ぎていく。  日が暮れる頃、身なりの良い髭面の紳士が目の前を通りかかった。これで最後にしようと、明るい声を作ってマッチを売り込む。 「旦那様、マッチは入り用ではありませんか? 高級な暖炉にライターで火を入れるのは味気ないと思われませんか? マッチなら箱の絵柄も旦那様のような方のお屋敷の暖炉にぴったりです。しかも、このマッチは湿気(しけ)もしませんし、擦り損じがございません。黄燐は使っておりませんから大変安全ですよ」  行く手に立ちふさがり、満面の笑みで売り込むが、男は髭を絞るように撫でて不機嫌そうに鼻を鳴らす。目にかぶって表情を隠している前髪から、いぶかし気に青い目がこちらを睨んでいる。 「間に合っている。こんな所で物を売るな。人攫(ひとさら)いにあうぞ。年の瀬だ、子どもは家に帰れ」 「おじさんがマッチを買ってくれたならすぐにでも」 「こんな街のはずれではなくて駅前へ行け。あそこなら人通りも多い」 「でも……」  駅前は別のマッチ売りの縄張りなのだ。私が顔を出せば制裁を受ける。まぁ、そんなことをこのおじさんに説明しても無駄なのだが。 「昼間はそうでもないが、日が暮れるとこの辺りも物騒だ、早く行け」  おじさんはコートから取り出したくしゃくしゃに丸めた紙幣を私に押し付けると、足早に去って行った。  私は押し付けられた紙幣を丁寧にひろげて、それを眺めた。 (ああ……死のう)  おじさんが私に手渡した紙幣は、私の一月分の稼ぎよりも、うんと多かった。  年を越せたからなんだ。私がどんなに頑張っても金持ちのポケットのゴミにも敵わない。  細い細い、生きる気力がプツリと音を立てて切れた。  限界だ。今日でマッチ売りはお終いにしよう。  年を越したところで、マッチ売りが花売りに変わるだけだ。マッチも嫌だが、春を売るのはもっと嫌だ。  もう、何もかもが嫌だ。  この金で酒を買って、橋から身を投げてしまおう。  酔っ払って飛べば、きっとたいして怖くはないはずだ。  それはとてもいい思い付きだと思った。  マッチを放り出して、お使いの振りをして酒屋に入り、一番高い酒を買ってきた。  飲んだことはないけれど、すごく高い酒だったから、ふらふらに酔えるだろう。  その前にこの忌々しいマッチを燃やし尽くしてしまわなくては。  マッチなんか持っているから私はいつまでもマッチ売りなのだ。 「ちくしょう、マッチなんか、マッチなんか、マッチなんか……」  私は暗くなってきた道端で自分の人生を呪いながらマッチを一本擦った。  火薬の(けむ)い香りとともに明るい炎がともり、束の間の熱を感じる。  本当に糞みたいな人生だった。  ――親に折檻されて逃げ出した。  またマッチを擦る。  ――修道院に逃げ込んだらシスターに襲われそうになった。  またマッチを擦る。  ――街で靴磨きをしてやっと貯めた金で、騙されてマッチを買わされた。一文無しで手元に残ったのはマッチだけ。これを売らないと金にならない。  マッチを擦りまくる。 (このマッチがある限り、私の糞みたいな人生は終わらないんだ……)  擦ったマッチの火に箱ごと売れ残りを放り込む。 「燃えろ、燃えろ! 燃えちまえ!」  私は高らかに笑いながらマッチを()べ続ける。  ジュッ、ジュッと小気味よい音を立てながら、箱の中のマッチは次から次へと炎をリレーする。  冬の乾燥した風に煽られてマッチは勢いよく燃えた。  (ああ、これでもう私はマッチ売りじゃない。マッチの火が消えたら、私の命も終わるの……)  満足して私は炎をじっと見る。  マッチの火はますます勢いよく燃えた。凍えていたのに、そこに立っているのも熱いくらい。  勢いが強すぎて高く高く火柱が立つ。 (マッチが消えたら――)  高くあがった火の粉が風に飛ばされて、近くの畑の積み藁に火をつけた。 (――き、消えたら……)  あっという間に火柱を上げた積み藁の火は、風に乗って隣の屋敷の馬小屋に飛んでいった。  乾燥した冬の強風に、乾燥した敷き藁のつまった馬小屋……。    よく燃えた。 「あ、あれぇ?! き……え? 消えない! やだ!  馬屋が、うまやがぁー!! 馬、逃げてー!! 誰か! うまー! 馬がぁ!!」    私のマッチの炎は馬屋を焼いた。  大騒ぎになって、大人がたくさん集まり始める。  その中にさっき私の生きる気力を根こそぎ奪った髭のおじさんもいた。  怒号が飛び交う中、煤で真っ黒になりながら皆で薄氷の張る池から水を運ぶ。  樽で水をかけたり、荷物を運び出したりした努力の甲斐もなく、馬屋は全焼した。  中にいた馬は少し煤けただけで、一頭も怪我をしなかったのが救いだ。  例のおじさんはブロンドの髭がチリチリになって、服も所々焦げている。  周りの使用人らしき人たちがおじさんを「旦那様」と呼んでいたから、馬屋はおじさんのものだったようだ。  野次馬が取り囲む中、皆に混じって水を運んで疲れ切った私の首根っこを掴んで、おじさんが恐ろしい顔で私を見下ろしていた。  もう逃げる気力もない。 「お前は、さっきの恩も忘れて……」  おじさんは皆が散り散りに年越しの御祈りをするために帰っていくというのに、私の首根っこを掴んだまま説教を始めた。  あまりに長いので、重い水を運んでいくらか温まっていたからだがどんどん冷えていく。  終いにはこれだ。 「もう火遊びはしませんと誓え」 「火遊びはしません。なによ、遊びじゃないし!」    投げやりに復唱する。 「夜道を子ども一人で歩くな」 「無理だよ……」 「誓え」 「はいはい、言うだけなら言えるわよ! 一人では歩きません。今度は子どもを買うような客と一緒に歩けばいいんでしょ」 「年の瀬くらいは家にいろ。家族と過ごせ」 「家も家族もないから無理!」  この後も基本的な生活習慣を、それはもう生意気な口をきくのも面倒だと思うくらいに誓わされた。そんな風に生きられるのだったら、とっくにそうしている。  そのうち説教から尋問に変わった。  親はどうしたとか、住まいはあるのかとか……。 「だからね、私、あんなお金、要らなかったのよ! マッチを売り切ってマッチ売りを辞めたかったの」  ベソをかきながら、理不尽な説教に抗議する。説教されて心を入れ替えたところで私の生活が明るく変わるわけではない。 「一晩過ごす家もないくせに金が必要ないだと? 要らないなら返せ」 「もう、使っちゃったわ!」 「何に使ったんだ? 無茶な使い方をしなければ暫く暖かい場所で生活できるくらいやっただろうが」 「……お酒」  私は馬の敷き藁に埋もれて置いてある、マッチの入っていない籠を指さした。  さっき買ったばかりの酒が水に濡れた籠と一緒に転がっている。  おじさんは酒瓶を手に取るとひっくり返してラベルを読んだ。 「こんなバカ高いワインなんかどうするんだ? これは、お前が飲んでも価値がわからないような代物だ」 「だって、これから川に身投げするから、酔っ払った方が怖くないと思って!」 「な……」  ちゃんと死ぬからそれで許してくれと言ったところで、おじさんは眉間の皺を深くして「ぐぅ」と黙り込んだ。  馬小屋を弁償するにも、私には何もなかった。  今しがたマッチは擦ってしまったし、死んで詫びるくらいしかない。 「上手に死ぬから見逃して。春を売って返すにしても、チビでガリの私じゃ商売にならないし」 「馬鹿。お前みたいな孤児は施設行きだ」 「おじさんは孤児院がどんなところだか知らないの? 強姦されて、逃げ出して、またマッチ売りで馬屋を焼くよ。娼館でも紹介してくれた方が親切ってものよ。お金が返せるとは思わないけどね」 「死んでどうなる」 「……楽になる」  おじさんは不機嫌そうな顔を一瞬真顔に戻して、同意するように頷いた。  「それでは、お前が罪を償うまで身柄を預かる他はないな」  おじさんはそう言って、私の顔についた煤をやけに柔らかい手巾で拭った。  何の因果か私はおじさんの馬屋を燃やして、おじさんの家に転がり込むことになったのだ。
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