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犬の恐ろしさを、団長はこう語った。
狼は生きるために狩りをするが、犬は狩りそのものを楽しむ。
獲物のどこが噛みちぎりやすくて、どうすれば悶え苦しむかを、犬は理解できる。
そして機動力と俊敏性を前にすれば、人間は太刀打ちできないと。
だから、傭兵団の中で俺に付けられた名前は、「狂犬」だった。
喜々として闘いを楽しみ、効率的に敵を殺す。
どんな命令にも従う従順性と、絶対的な作戦遂行能力を有するから、らしい。
まだ15歳だったが、俺はこの傭兵団の中では古巣の方だった。
つまり、15年間も闘いを経験して、15年も生き残れた兵士として、俺は畏怖される存在になっていた。
そんな俺が団長から頼まれたのは、想像を絶する任務だった。
二国間の戦争で、俺達の依頼主だった東側の国が軍を撤退させた。
これから停戦協定が結ばれる。つまり、仕事は完了となる、はずだった。
しかし、その依頼主の軍が実質負けたことで、契約が不履行になった。
金は入らないどころか、俺達に負けた責任さえ押し付ける始末だ。
金がなければ命がけで戦った意味がない。
なんとか金を工面しようと団長が考えたのが、今回の作戦だった。
「ドリガ家は旧貴族で、地元の有力者だ。絵に書いたような金持ちなんだが、戦争で息子二人が行方不明でな。兄は軍に志願して、戦死が確認されている。そして弟の方、名前はジンバっていうらしいが、こいつは寄宿先の学校で戦火に巻き込まれた」
団長が差し出した写真には、にこやかに笑う男女と、軍服姿の青年、そして学校の制服を着た男子が映っていた。
「このガキ、よく見るとお前にそっくりだろ」
「そうですか?」
男子を指で小突きながら、団長はにやけて言った。
「歳も背丈もお前と同じだった。なり替わるには都合がいいだろ」
そう言って団長は俺を指差して笑う。
「どういうことですか?」
「こいつらからガキの捜索依頼を受けてんだ。見つければ大金が手に入る。お前はこのガキになり替われ」
今まで色んな無茶な任務も平然とこなしてきた。
だが、これには俺も顔をしかめた。
「大丈夫だ。一時的にこいつらを満足させればいい。ただ、それだけじゃねえ」
そこで団長は煙草に火をつけて、口元をひくひくと動かしながらにやける。
こういう時は、悪巧みを思いついて悦に浸っている証拠だ。
「せっかくだから、そいつらの資産もできる限り盗んでこい。停戦協定が結ばれたとはいえ、まだ完全に戦争が終わったわけじゃねえんだ。こういう悲劇はよくある。だろ?」
子供の引き渡しの日。
現れたのは身なりの整った、いかにも上流階級といった出で立ちの男女だった。
二人共、俺の姿を見るや否や、駆け寄ってきて俺を抱きしめた。
「ジンバ。よかった・・・。生きていたなんて・・・」
「ああ、神よ。感謝します」
上流階級の連中なんて、ろくなもんじゃない。
着飾った身なりの内側で、俺達を見下している。そういう連中がほとんどだった。
だが、彼らから伝わってくる体温と、頬から伝う涙を見て、少しだけ動揺した。
「辛かったろう。苦しかったろう。でもよく生き残ってくれた」
「早く家に帰りましょう。そして、日常を取り戻さないと」
男女は涙でクシャクシャになった顔で、俺の頭を撫で始める。
そのまま車でドリガ家の屋敷まで連れられた。
「また、あなたと一緒に暮らせる日がくるなんて」
「そうだな。また家族としての幸せな時間を取り戻そう」
母親は涙で赤くなった目をこすり、父親は噛みしめるように静かに言った。
車から降りると、使用人らが総出で出迎えてきた。
その使用人らを押しのけて、一匹の犬が駆け寄ってくる。
舌を出しながら、俺の足元に来て、くんくんと匂いを嗅いでいた。
「ルーシーも喜んでいるみたいだな。ほら、ジンバが帰ってきたんだよ」
父親がルーシーと呼ぶ犬の頭を撫でながら言った。
ルーシーは俺の顔を見て、口元を緩ませながら鼻息を荒くしていた。
「ジンバ?」
犬を睨んでいると、母親が俺のことを心配するように見てきた。
怪しまれないよう、俺はルーシーの頭に手を乗せ、そっと撫でた。
すると、ルーシーは首をくねらせながら、嬉しそうに俺の腹に顔をこすりつけてくる。
今まで軍用犬は何度も見てきたし、戦場で相手にしたこともある。
そいつらは、狂ったように顔を歪ませて襲い掛かってきた。
そういう犬しか、俺は知らなかった。
犬がこんなにも愛想よく笑うものだと、初めて知った。
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