episode 01 灰色娘と三人の騎士

3/10
1人が本棚に入れています
本棚に追加
/12ページ
 こぼれた水は憂姫のスカート裾を若干濡らしたものの、未散に直接かからなかったのは幸いだった。 「あの、ごめんなさい。お水……」  水浸しの席を見ても素知らぬ顔を決める未散に対し、憂姫は頭を下げる。静かだった教室の端々で、軽いざわめきが起きた。 「机に蓋開けっぱのペットボトル置いておく灰野さんも悪いよね」 「てか、わざとじゃね?」 「あぁ……黒川さんに成績トップの座を奪われるから?」  囁き声とはいえ、幾人かによる未散に対する中傷がしっかりと耳に届く。その直後に聞こえたのは、数秒前にも発せられた不快な音だった。 「チッ」 ━━お前か、あの舌打ちは!  長い前髪に隠れて表情は伺いしれないけれど、舌打ちは紛れもなく未散が発したもののようだ。うつむく未散の表情を伺いながら、憂姫は唐突に提案した。 「ねえ。弁償させてよ、お水」 「弁償?いいわよ、水ごとき別に……」  スルーしかけた未散を食い気味にさえぎる。 「よくない。こぼしちゃったのは事実だし。先生!」 「お、なんだ黒川。先生、専門の世界史に関する質問にしか答えてやれないぞ」 「灰野さんに校内を案内してもらっていいですか。売店とか自販機の場所とか水飲み場とか。もちろん休み時間にです」 「なんだ、黒川。喉乾いてんのか。灰野、ホームルーム終わったら案内してやれ」 「えっ」 「ありがとうございます。灰野さん、よろしくお願いします!」 「え、私……えっ?」  戸惑う未散に構わず約束を取りつけた憂姫は、さらにはバケツと雑巾を抱えて教室へと戻ってきたヘルメット男子・勉に声をかけた。 「委員長、私も手伝います」 「日吉勉。『ツトム』でいいよ、黒川さん」  首を振りながら笑う勉のヘルメットヘアが、サラサラと揺れる。 「いいね、いいよ。皆も灰野や日吉に続いて、黒川と親交を深めてくれ。今日のホームルームは、以上!」  純朴なクラスメイト数人が、再び「はーい」と気の抜けた返事を繰り出す。 「ツトム委員長」 「呼び捨てでいいってば。なあに、黒川さん」 「じゃあ、私のことも『ユキ』で。急ぎじゃないんだけど、ちょっとお願いしたいことがあって……」  委員長の勉に憂姫が頼み事を伝え終える頃には、ミネラルウォーターの水溜まりは数枚の雑巾へと吸いこまれていた。
/12ページ

最初のコメントを投稿しよう!