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1.
太平洋戦争が、終戦という名の完全なる敗戦のもとに終結した。
鬼畜米英。欲しがりません、勝つまでは。
そんな標語はあっという間に忘れさられ、誰もが日々生き抜くために必死で身体を動かしていた。闇市は異常な熱を帯び、日夜、街に住む良家の婦女たちが物々交換のために着物やら何やらを持って農家を訪れる。
だが、堂守和也は、そんな日本の光景をむしろ誇らしく思っていた。
和也は酒が入ると、よく仲間にこう言っていた。
「人を殺すために、身体を使ってどうするんですか!? 活かすために、生きるために使わなきゃ! そうでしょ!?」
戦時中なら間違いなく特高に捕まっていたようなセリフだが、戦後一年半が経った今では誰も気にしなかった。そもそも、みんなそれどころではなかったというのもあったが。
和也は東京都内の大学で数学を学んでいたが、戦争中は学徒出陣で満州へと駆り出されていた。命からがら戻って来た今、あらためて机に向かって授業を聞く気にはなれなかった。
和也には服飾店を経営する両親と妹が健在だったが、さすがに一日中家にいて居候を決め込むわけにはいかない。
かと言って仕事をする気にもなれなかった。道路工事、炭鉱、くず鉄屋、町工場など、仕事自体がないわけではなかったし、男手はどこも必要としていたが、どうにも気が乗らないのだ。他人には、生きるために必死に働くことこそ人間のあるべき姿だなどと言いながら、自分はぐうたら生活をしているのだから世話はない。家族を含め周りから呆れられ、半ば愛想をつかされていた。
もっとも和也はその理由が、自身の満州での戦争体験にあるのではないかと思っていた。生来楽天家の和也をもってしても、あの地で見たもの、実際にした体験は簡単に人に語れるものではなかった。それほど経験をしながら、次の日から普通の暮らしをするというのがどうにも違和感があるのだ。
もちろん和也自身、明確にその因果関係を把握しているわけではなかったし、当然誰かに説明できる由もなかった。
そんなわけで毎日ぶらぶらと自堕落に過ごす和也だったが、三日前、突然地元の警察署から仕事の依頼が入った。
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