13.汚い、本当に汚い。(裕司視点)

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13.汚い、本当に汚い。(裕司視点)

 俺はキッチンで母と談笑しながら、料理をしている真希を思い出していた。  真希は小学生から料理をしていただけあって、手慣れていた。  魚の骨を全部抜いたり、大好きだというお祖父様のことを常に考えていたことがわかる丁寧な調理をした。  両親の曇った表情から、両親もまた真希を思い出しているのが分かった。 「ねえ、裕司。駐在って5年くらいでしょ」 美由紀の言葉に父の顔が曇ったのが分かった。  真希は両親の前では俺を「裕司さん」と呼んだ。  初めてうちに来た時も、まずはご先祖様にご挨拶したいと仏壇の前で手を合わせた。  そんな古風で礼儀正しい真希に慣れている両親は、美由紀の礼儀知らずな態度が気になって仕方ないのだろう。 「まあ、予定は未定だけど最長でも5年くらいだな」 「じゃあ、帰国したら湾岸のタワーマンションとかに住もうよ。うちの実家と裕司の実家のちょうど真ん中あたりじゃない?」  美由紀はさも自分が良い提案をしてきたように言っているが、帰国したらうちの両親と同居するのは決定事項だ。  うちはこの付近の地主でもあり、この土地を離れる選択肢はほぼない。  年に何度もある町内会の集まりはうちで開催されるし、町内の子供達の鼓笛隊の練習もうちでやっている。  そういった町内を取り仕切ったり纏めたりする原家の奥さんという仕事が存在するのだ。 「美由紀、帰国したらここに住むことに決まっているから」 「はあ、なんで? 次男でしょ? もしかして、私、親の介護とかも期待されてる?」 美由紀が発した言葉に、空気が凍りつくのが分かった。 「美由紀さん、あなたに介護なんて期待してませんよ。それに上の子は結婚してアメリカに住んでいるんです」  母が絞り出すように言ってくる声色に怒りを感じた。  真希は原家の一員になれるのを楽しみにしていて、同居するのを当たり前のように受け入れていた。  というよりも家族愛に飢えている真希は、同居して自分に家族が増えるのが嬉しく思っているようにさえ見えた。  母は近所の人に「うちの嫁」と自慢げに真希を紹介していたし、真希はあっという間に周りに溶け込んでいた。 「じゃあ、ゆくゆくはお父さんとお母さんは施設に入るってことですか?」  美由紀の言葉に、今日はもう彼女を帰した方が良いと思った。  真希のコミュニケーション能力が高いのは、相手の表情や仕草をよく観察し不快にさせないトークができるからだ。 それは、彼女が愛情に飢えていて常に周りに好かれたいと思っているからだと俺は思っていた。 美由紀は美人だし、家庭環境も問題なく育ってきた女だ。 だからこそ持つ彼女の傲慢さが、懸命で実直な真希を見てきた俺の両親を不快にさせている。 「美由紀、今日、これから会社の子の歓迎会なんだろ。父さん、母さん美由紀を送ってきます」  俺は彼女が口を開いて、これ以上余計なことを言わないように席を立って部屋を出た。 「じゃあ、今日はこれで」  俺は一時の性欲に負けただけで、美由紀のことが好きではない。  むしろ、日に日に彼女が嫌いになっている。  お腹に俺の子供もいないのに、俺はこのような我儘で浅はかな女と結婚しなければならないのか。  彼女には駐在員の妻も、原家の奥さんも務まらない。 「私、間違ったこと言った? 早めにはっきりさせておきたかっただけなんだけど⋯⋯同居も介護もありえないよ。言っちゃ悪いけど、裕司の両親って感じ悪くない? できれば距離を置きたいんだけど、会話も弾まないし」  俺は口を開くと彼女を罵倒したくなるので押し黙った。  会話が弾まないのは、美由紀がうちの親と仲良くなる気がないからだと言いたかった。  真希はこれから家族になる、うちの親と仲良くなりたくて沢山話題を提供した。 「とにかく、同居のことと介護のことは、ちゃんと親御さんに言っておいてね」 美由紀はそう言い捨てると去っていった。  俺は今日はもう美由紀に会わなくて済むと思ってホッとした。 (今からこんな気持ちで美由紀と結婚なんてできるのかよ)  リビングに戻ると父さんが頭を抱えていた。 「あれ、母さんは?」 「部屋で泣いているよ」 言い捨てるように言った父さんも涙声だ。  母は部屋で俺の小さい頃のアルバムを見ながら号泣していた。 「あの、母さん大丈夫?」  俺が母さんの肩に手を掛けると手を振り払われた。 「汚い⋯⋯」 そう、呟いた母の言葉に俺は一瞬耳を疑った。 「お父さんもね、浮気をしたことがあったの。でも、私は子供の為に我慢した」 母の言葉に俺は思わず絶句する。  家で良い父親を気取って、裏で家族を裏切っていたなんて父親に吐き気がしてきた。 「真希ちゃんにね、そのことを話したら泣いてくれたの。辛かってですね、子供のこと第一に考える素敵なお母さんですねって。私の娘になりたいって」  母が真希とそのような会話をしていたことに驚いた。  息子の俺にも守ってきた秘密を、真希には話していたということだ。  でも、母と真希は本当の母娘のように仲が良かったから、そう言ったやりとりがあったと言われても不思議ではなかった。  そして、真希は本心から母の娘になりたいと言ったということも俺には分かってしまった。 「なんで真希ちゃんがいながら、あんな子と浮気したのよ。汚い、本当に汚い。昔は可愛くて思いやりがある子だったのに⋯⋯」  分厚いアルバムで俺を叩いてくる母は見たこともない表情で泣いていた。  今まで母に怒られることはあっても、それは愛情からで拒絶ではなかった。  俺は居た堪れなくなり、家を出た。  母の気持ちは理解できた。  家と旦那のために尽くしてきても裏切られ、別れたくても必死に子供の為に我慢してきたのだろう。 「汚いか⋯⋯」  俺も今、父親が影で浮気をしていた事実を知り顔も見たくないと思っている。  真希は、5歳の時、親の不倫現場を見たから性的なものに拒絶反応があると言っていた。  俺はその告白を真剣に受け止めていただろうか。  昔のことだと軽く最初は受け止めて、本当に彼女がセックスができないかもしれないと思うと怖くなった。 (セックスがなんだよ。くだらない⋯⋯)  彼女を失った今になれば、そんなものなくても一緒にいたかったと思える。  ただ、何もしないで彼女を抱きしめながら寝るだけで凄く幸せだった。  子供が欲しければ体外受精や、養子をとったり選択肢はあったはずだ。 (「真希ちゃんなら事情を話せば分かってくれるはずよ」)  その時、頭の中で都合よく母の言葉がリフレインした。  俺は、真希が許してくれるか分からないが、とにかく謝罪しに行こうと彼女の家に急いだ。
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