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それから主人を振り返った。短く刈り込んだ頭を手でバリバリと掻いて、困惑した顔を向けた。トーマスとて、膜に包まれた人間など見たことはないのだ。
「ああ、分かっていますよ、トーマス。……よっと」
辺境伯はかけ声をかけて立ち上がり、そばまで歩いて行くと、膝をついて少女に手を伸ばした。
辺境伯の指先が触れたとたんに、不思議とあっけなく、シャボン玉がはじけるようにパチンと音をたてて半透明の皮膜が破け、少女が転がり出た。小さく丸まっていた体が解放され、横向きに横たわり、剥き出しの手足がゆるく伸びている。
背中にかかった淡い亜麻色の長い髪が、少女の体をふわりとおおって隠していた。つむった目を長いまつ毛がふちどっている。
「羽根のない天使みたいだ……が……」
辺境伯が言葉に詰まって、トーマスを見る。もしや自分の見えているものは、ちょっとした幻覚かなにかで、トーマスには見えていないかもしれない、という一筋の期待を込めて。
しかしトーマスは肩をすくめ、首を振った。丸太のような太い両手を、ぎこちなく頭に当てちょんと折った。
「やはりお前にも見えるのですね、トーマス」
辺境伯は手をひらひらさせながら話しかけ、その手で少女の髪を指先でかきわける。ふう、とため息がこぼれる。
「女の子が道端に落ちてるというのも、信じがたいことだというのに、これはいったい……」
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