0.北欧番外編

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0.北欧番外編

 吹雪が視界を遮り、何も見えない。 「早紀さん……あたし、凍りそうです……」  空知沙羅が弱音を吐く。足取りは重く、今にも倒れそうだ。 「頑張るのよ。もうすぐ宿がある筈だから」  美馬早紀が懸命に励ます。 「これって、映画にありましたよね?」 「……そうか?」 「ほら、雪の八甲田山を行軍するやつ……」 「沙羅って、そういう映画を観るんだ」 「210人中、199人が死んじゃうんです」 「そ、そうなんだ……」 「あたしたち、生き残る11人の方に入れますかね」 「……入れるよう、がんばろう」 「ストックホルムは水の都で、北欧のベネチアだって本に書いてあったのに……」 「ストックホルムはそうかもしれないけど、ここは、ストックホルムから三〇〇キロも北だからねえ」 「なんで、淫魔はこんなところに出たんだろう……」 「次は、もっと暖かい場所にしてもらおう」 「そんなこと、できますかね」 「ダメ元で頼んでみようよ」 「そうですね……でも、早紀さんあたし……」 「どうした?」 「やっぱり、凍りそうです……」  沙羅は足元から崩れた。雪の上に大の字になり、呟く。 「天は我々を……」 「オーイ! オーイ!」  男の声が聞こえた。 「こっちこっち!」  早紀が答える。 「……見放さなかった」  そう呟いて笑いながら、沙羅は凍った。     * (ああ……気持ちいい……) 「沙羅、気がついたみたいね?」  スチームで霞む空間に早紀の笑顔が見えた。 「あたし……」 「凍ったけどもう大丈夫。解凍したから」  早紀も沙羅も裸だ。 「ここは天然のサウナよ」  早紀の隣で白人の青年が笑っていた。 「彼は案内人のオスカルさん」  彼もまた全裸だ。 (さすが北欧、混浴サウナか……)  沙羅は感心した。 「コンニチハ、オスカル、デス。ミスター・アン、シジデ、オフタリ、マッテマシタ」 「ここはホテルなの。ここでオスカルさんと待ち合わせて、淫魔の森に案内して貰う予定だった」 「トコロガ、コンナ、フブキ。オカシイデス」 「普通、三月にこんな天気にはならないんですって」  本来なら普通車で来られるところ、雪上車を使ったという。 「インマ、オフタリ、ボウガイデスネ」  ホテルの客は、早紀と沙羅、そして、オスカルの三人だけだ。太った女主人と若いメイドが二人、力仕事をする初老の男が働いている。  夕食には、羊肉のグリルとニシンの酢漬けが出された。食事をしながら、女主人が事件の話をしてくれ、それをオスカルが訳してくれた。 「要するに、このホテルに泊まった客が次々と姿を消したのね?」  沙羅が丸めると、女主人は悲しげな顔で訴えた。客が失踪すると噂になり、お客さんが来なくなったという。  ホテルは三階建てで、早紀と沙羅は二階の部屋、オスカルは三階の部屋をアサインされた。その夜、ベッドで抱き合いながら、沙羅がひとつの疑問を口にした。 「ねえ早紀さん――」  沙羅は早紀の乳首を指先でいじりながら言った。 「さっきの話なんですけどね――」 「うん」  早紀は悪戯する沙羅の指をそっと払いのける。 「なんかちょっと違うかなって……」  払いのけられた沙羅の指先は、そのまま下腹部に伸びていく。 「何が何と違うの?」  いきなり蕾を弾かれ、早紀の体がぴくりと反応した。 「淫魔の島では、淫魔の世界に通じる異界の扉が開いちゃったわけじゃないですか」 「そうだったね」 「そしたら、そこからバケモノが逆流してきて、あたしたちが退治した」 「ちょっとピンチだったね」 「でも、今回、そういう異界の扉みたいな話はないじゃないですか」 「そういえばそうね……」 「ただ、ホテルに滞在する人が次々と失踪するだけで」 「淫魔の世界へ行ったとか、淫魔がこっちへ来たとか、そういう話じゃないわね」 「それって、なんか違うと思いません?」  再び弾かれ、早紀はぴくりとした。 「ただ、人が消えていくっていうのは……」 「どちらかと言えば、ホラーですよねえ」  早紀は体を起こした。乳房を揺らし、窓を確認する。上下スライド式のガラス窓の向こうには、板の雨戸がある。ガラス窓を明け、雨戸を開けようとするが、びくとも動かない。 「沙羅、やられたかも……」 「え?」 「窓が開かない!」  二人はシーツを裸体に巻きつけ、ドアを開けた。 「これってひょっとして……」 「斧だとかチェンソーだとか持った顔にマスクした怪物が襲ってくるパターンかも……」 「沙羅、こういうときはどうしたらいいと思う?」 「やっぱり逃げるんじゃないですか?」 「そうよね」 「でも外は淫魔の吹雪で凍っちゃいますよ」 「オスカルは雪上車で来ている。彼がいれば、ここから脱出できる」  女主人たちは寝静まっているらしく物音はしない。二人は足を忍ばせ、階段を上ろうとした。  そのときだ。  何かが階段を弾みながら落ちてきた。 (ボール?)  二人の足元で止まり、恨めしげに見上げているのはオスカルの首だった。 「ひえーっ!」  沙羅が早紀に抱きつく。 「上を見て!」 「〇*▼@×●△×◎!」  何を言っているのかわからないが、三階の踊り場から、太った女主人が見下ろしていた。その手には血の滴る斧がある。 「〇*▼@×●◎!」 「早紀さん、下にもいる!」  一階には、チェンソーを持った使用人、包丁とお玉を持った二人のメイドがいた。 「こうなったら、日頃鍛えたプロレス技で闘うしかなさそうね」  二人は白いシーツを高々と投げ捨てた。  ホテルのシャンデリアに白い裸体が眩しい。  二階の踊り場から軽々とジャンプする。迫りくるピンクの弾丸にチェンソーの男は硬直した。顔面と喉元にWドロップキックが炸裂する。チェンソーが空回りして壁に突き刺さった。男の体は吹っ飛び、股間がチェンソーに触れる。血が飛び散り、思わず、早紀と沙羅は目を逸らした。  のた打ち回る男を横目に、二人のメイドが包丁とお玉を振り上げ、襲いかかってきた。沙羅の回し蹴りがメイドのひとりの顔面を、早紀の回し蹴りがもうひとりの顔面を、容赦なくヒットする。二人のメイドは壁まで飛んで、ボキリ、と鈍い音を立てて床に沈んだ。  残るは三階の女主人だ。沙羅と早紀は三階に駆け上がった。斧を振り上げ威嚇する女主人だが、肥満のせいか動きが鈍い。どんなに振り回しても簡単に避けることができてしまう。 「どうする?」  沙羅に訊かれた早紀は短く答えた。 「落とそう」  早紀は素早く背後に回り込み、はがいじめにする。沙羅は太い両脚を持ち上げた。 「せーの!」  女主人の巨体は一階で倒れる三人の上に落ちた。女豹ペアの圧勝だった。  言葉の問題で、警察への連絡には苦労した。  やっと到着した警察が調べたところ、ホテルの周囲から三十人ほどの死体が見つかった。経営に苦しんだ女主人たちが、宿泊客を殺して金品を奪っていたのだ。 「三月の吹雪は淫魔のせいじゃなかったんですかねえ」  沙羅が首を傾げる。 「ただの異常気象だって」 「へえ、ただの異常気象ねえ……」  淫魔の森と呼ばれた場所に、淫魔の痕跡はなかった。大量殺人犯逮捕に協力したとして、スウェーデン警察から、二人に感謝状が贈られた。 (つづく)
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