お役御免はまだまだ先?

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お役御免はまだまだ先?

 平日の午後。  忙しくも暇でもなく、どこかのんびりとした空気が漂っている、いつもの探偵事務所のはずだった。 「ごめん、ちょっと出てくるね」  そう言い残して足早に出て行った所長を、後輩がぽかんと見送った。さすがに違和感を覚えたらしい。まあ、確かに「あの状態」の所長を見るのは初めてだから仕方ない。というか久しぶりじゃないだろうか。  少なくとも、彼がこの探偵事務所にやってきてから一度も起こっていなかった。……いや、一度あったかな? そのときは(所長的に)運よく、三浦が体調不良で休みだった。 「あ、あの《あずさ》梓さん。所長、なんか変な物でも食べてましたっけ」 「……どうして?」 「いや、外出るの相当珍しいじゃないですか。でもそれだけじゃないっていうか」  両手が空いていたら右に左に動いていそうな素振りを見せながら出入口のドアを振り返る。追いかけたいけれどどこに行くべきかわからない。心情としてはそんな感じだろう。  ただ、私ならわかる。  短くため息をついて、びっくりしたように名前を呼んできた背中越しの彼に答える。 「私、探してくるから。悪いけど、事務所をお願い」  たっぷり二十分はかけて、周りの雰囲気より時間が昔に巻き戻ったような佇まいの喫茶店に辿り着く。  入口をくぐると、すっかり顔なじみになった店長がわずかに苦笑しながら頭を下げた。毎回お世話をかけますという思いと共に目線を下げ返すと、一番奥まった場所にある二人席に腰掛けた。 「久しぶりに出ましたね、この発作」  眉根を寄せた所長がにらめっこしているターゲット――一冊の本を指差しながら、出された水を半分まで飲む。今の季節、夕方でもまだまだ暑い。 「三浦くん、びっくりしてましたよ。ほとんど外出ない所長がいきなり飛び出したから」 「……(のぼる)くん、なんか言ってた?」 「気になるなら早く戻ってあげたらどうですか?」  大事な人の動向を探っておきながら視線も身体も石のように動かない。無駄とわかっていて敢えて告げたのは、これが唯一の対処法だから。  しかし、三浦と深い仲になってから相当我慢でもしていたのか、眉間の皺がいつも以上に深い。長引きそうな予感に早くも投げ出したくなる。 「……ったく、相変わらずこういう本は己の目線で好き勝手書かれてて反吐が出る。盛大な自分語りすぎて金の無駄だね」 「所長にはそうってだけですし、別に絶対手に取ってって命令されているわけじゃないでしょう。いつも突っ込んでますけど」 「大体数千円払って簡単に解決できるなら誰も苦労なんかしないんだよ。あ、ここに書かれてる手法、僕ならもっとコスパよくこなせるけどね」 「それいわゆるブーメラン発言なんじゃないですかね」  未だに不思議で仕方ないのだが、頭の中が暴発しそうなくらいに煮詰まってどうしようもなくなったとき、事務所を飛び出すと道中で購入した自己啓発系の本を片手にこの喫茶店に入り、ひたすら毒づくのがお決まりになっている。曰く、「自分ならこうだ、という論を思い浮かべまくっていくうちにすっきりしていく」らしい。敢えて掃除をしたり散歩に出かけたりするとリフレッシュするというのと同等か、いや、一緒に括るのは憚られる。  とにかく、所長なりの落ち着きの取り戻し方なのだ。  自分が相手役を務めているのは、偶然にも毒抜き中の所長を見かけてからだった。 『梓くんの冷静なツッコミがすっごく助かるってことがわかったから、できれば付き合ってもらえると嬉しいな』  普段の所長に早く戻れるなら仕事も滞らずに済む。そのためだけに役目を続けているけれど、面倒なのに変わりはない。 「私、次から三浦くんにバトンタッチしようかな」  喫茶店自慢のショートケーキをつまみながら呟くと、視線がぐいんとこちらを捕らえた。本を閉じ終えていないのに珍しすぎる。 「や、やだよ!」 「どうせいずれは二人で住んだりするつもりなんでしょう? 私のいないところでこうなってもおかしくないですし、予行演習だと思って」 「む、無理無理! こんな姿を昇くんに見られるなんて無理!」  ……まったく、本当に無駄にプライドが高い。  少なくとも三浦は、絶対嫌いにはならない。むしろ、しっかり支えられるようになりたいと決意するタイプだ。 (気づいたらたくましく成長してそうね……)  その未来はちょっと楽しみかもしれない。例えば、完全に所長を尻に敷いていたりとか……  ——パタン。 「こ、ここにいたんですね二人とも……!」  二つの音は、ほぼ同時に聞こえた。  所長のすっきり顔が見事に固まっている。さすがの自分も驚きを隠せないまま背後を振り向いた。 「三浦くん、どうしてここが」 「いや、やっぱり気になっておれも出てきちゃったんです。来客の予定ないしって思って……」 「私のあとを、追いかけて?」 「途中で偶然見かけたんですけどすぐ見失っちゃったんです。で、手当たり次第探してたらここに」  一応、三浦が後をつけていることを想定して敢えて遠回りしてみたりしたのだが、偶然なら仕方がない。 「これはもう、神様のお告げなんですよきっと」  ケーキと紅茶まできっちり平らげて、未だフリーズ中の所長に適当な理由を告げながら席を立つ。本を閉じたなら毒抜きは終わったという証だ。つまり、役目は終わった。 「あ、あの梓さんここで一体なにを? まさかサボりですか?」 「サボりじゃない」 「す、すみません……」  口にした物はあくまで必要経費だ。何も注文せず留まるだけなんて失礼にもほどがあるじゃないか。 「それに、三浦くんが気になってることは所長が丁寧に説明してくれるから大丈夫」  助けを求めるような視線を感じた気がするが、あくまで気のせいだろう。というか誤魔化すなんて無理。 「所長。サボりじゃないって、ちゃんと証明してくださいね」  敢えて身体ごと向き直り、満面の笑顔を向けて、今度こそ喫茶店を後にする。  所長の情けない悲鳴が聞こえた気もするが、これもまた、気のせいに違いない。
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