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5
「どうして助けなかったの!」
プネウマから遠ざかると私はマケリを突き飛ばした。回廊の壁に当たった彼は、そのまま力なくずり落ちていく。
「無理だよ。助けられる、わけがない……」
「助けられた! あんたが止めてなきゃ」
「止めなきゃ君も死んでた!」
空気を裂く大声に息がつまった。マケリが怒鳴っているのをはじめて見た。壁に手をつき立ち上がろうとして、マケリはそのまま諦め、廊下に腰をおろした。ぐったりと土色の顔に脂汗を滲ませている。
「オルニスは、僕らの中で一番戦闘向きだった。彼が敵わないなら、僕らが何をしても、無駄だ」
「でも、……」
助けられたかもしれない、そう思うと声が震えてしまう。マケリは先ほどの様子を思い出したのか、ぶるりと震えた。暗く沈む瞳で床を見つめている。
「プネウマが何をするか、オルニスは僕らに見せてくれた。たぶんA組とB組のみんなにも、同じことをしたんだ」
私は震えを飲みこもうとしたが無駄だった。混乱と恐怖、わけのわからない不安があふれてくるのだ。
「ファイ、考えるんだ。考えて」
マケリが宥めるように肩をさすってくれた。彼の指もまた震えている。こんな状況で何をどう考えろというのだ。卒業試験の一環だと思っていたプネウマとの面会は恐ろしい殺戮の場だった。プネウマは試験を受けた生徒をすべて殺す気だ。現にウォルシュもオルニスも殺された。そういえば、回廊や中庭ですれ違う同級生たちの姿が少ないのも、すでに殺されてしまったのかもしれない。震える静寂のなかでマケリがふと呻いた。
「そうか、だから……」
「なに?」
私はさぞみっともない顔をしていたのだろう、マケリは微笑んだ。
「気づいたんだ。プネウマが僕らにさせようとしていることに」
マケリは三つの金のオブジェを手のひらに転がした。彼が見つけた本と星、子どものモチーフ。
「何かおかしいと思った。プネウマは『何度間違えてもいい』と言った。僕らに答えを探せと言っておいて、まるで正解することに何の意味もないみたいだ」
マケリの顔色は悪くなっている。息をするのも苦しそうで、長距離を全力疾走した後のようだ。
「それに、オルニスのさっきの戦いを見てわかったよ。彼がへばるにしては早すぎるって。この場所は、この夜はまるで――僕らの魔法を吸い取っているみたいだ。いや、きっとそうなんだよ」
魔法とは肉体に通じるもの、使えば使うほど体力を消耗する。オルニスがあれだけの風魔法で体力切れになったのも、言われてみればおかしい。マケリにしたって、消耗の仕方が尋常ではない。この夜の暗がりに絶え間ない不安を感じるのも、そこに何らかの術者の意図が含まれているとすればおかしくはない。マケリが大きく嫌な感じにせきこんだ。かすれた風に似た呼吸、瞳はかなりぼうとしてきている。体力の限界が近いのだ。
「マケリ」
「大丈夫。でも僕は、急がないと」
立ち上がろうとするのを支えると、彼は月を見上げていた。天高くその角度はかなり変わって、鐘楼のすぐそばへ近づいてきている。
「ファイも、急いだほうがいい」
「でも、どうすれば」
「プネウマの言うとおりに、するんだ。忘れちゃいけない」
これは卒業試験なのだとマケリは繰り返した。彼はオルニスが生きていると信じている。それどころか、プネウマが誰も殺していないと考えているようだった。根拠を聞き出すにはマケリは疲れすぎていたし、その身を支えて言われるままに歩いているうちにプネウマのいる中庭まで辿りついてしまった。
はじめの宣言どおり、プネウマは同じ場所にとどまっていた。彫像のように動かなかった首が私たちに気づくや、フクロウのように動く。鳥仮面の奥とまともに目があった気がして、一瞬にして震えが走った。
「ありがとう。ここまででいいよ」
「待って、本気? 見たでしょう、だってオルニスが――」
「ファイ、これは試験なんだ。自分で確信した道を、行くしかない」
マケリはプネウマのそばへ近づく気だ。思慮深い友の目には爛々とした意思が光り、やけになっているのではないとわかった。なにか考えがあるのだ。それでも行ってほしくなかった。
「答えをまだ見つけてないでしょ。あんたの問いは」
「『この世で一番青い色は、どこにある?』――僕には、これで十分さ」
マケリは握りしめていた本のオブジェを指先でつまんでみせた。残るふたつのオブジェを私に押しつけてくる。
「君ならできる。プネウマの言うとおりに、この試験に全力で、取り組んでみるんだ」
そうすれば活路が開ける、そうマケリは心の底から信じきっていた。柔らかな月光をかきわけ、プネウマの元へよろつき歩く姿を私は立ちすくみ見守った。
「ミスタ・マケリ。君の答えは?」
マケリは静かに本のオブジェを差し出した。
「この世で一番の青は、書の中に。物語に紡がれる、僕の想像の中に」
「素晴らしい。そして君は勇敢でもある。この試験の意味に気がついている、そうだね?」
びくりと、マケリが身をすくませた。プネウマが両手をゆっくりと伸ばしていく。穏やかに脈でもとるように、マケリの首筋に白手袋の両手を添えた――次の刹那、糸の切れた操り人形のようにマケリはその場にくずおれた。脱力し意思の消えた死体を、プネウマが倒れる寸前に受け止める。地に横たわる姿に腕をひと振りすると、マケリはかき消えた。オルニスと同じく外に出されたのだ。
どうすることもできずにたたずんでいると、プネウマと目が合った。友がまたひとり死んだ、殺された。ああも簡単に人の意思を奪ってしまえる存在を私は知らない。プネウマのような大量殺人鬼が学校の中にいるなんて。
「混乱してるね、ミス・ファイエル」
プネウマは天を見上げて告げた。
「じきに時間切れだ。君も覚悟を決めなさい」
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