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03.それにしても変な名前
「靴?」
コーヒーカップを手にした由香里があきれたような声を上げた。それから美咲にその靴の値段を聞き出したあと、ふたたび驚きとともにあきれた声を上げた。
「そんなに高い靴、どうするの?」
「お店で実際に見たけど、やっぱりデザインが素敵だなあって」
美咲はスマホの画面をテーブル越しに由香里に見せる。
「わたしはイラストレーターでもないし、ブランドのことなんてわかんないけど、たしかに素敵な靴だと思う。でも、高いのねえ」
美咲が差し出したスマホの画面には、その高級ブランドの靴の画像が映し出されていた。シンプルだけど個性的。派手じゃないけれど、目を惹くなにかが靴のフォルムやデザインに含まれている。
「俺の給料の二ヶ月分みたいなことは言ってた」
土曜日夕方のカフェ・レインキャッチャー。表通りから少し奥まった場所にあるから満席とまではいかない。けれど、席は七割くらいは埋まっていて、マスターや店員が忙しくしている。小さな通りに面したテイクアウトにはしょっちゅうお客さんがやってくるから。
「初めて来た店だけど、けっこう落ち着く店ね」
美咲が店内のインテリアを見まわしながら由香里に告げた。
「うん。何年か前にリニューアルしてね。それまではいかにも昭和の喫茶店って感じだったけどさ。マスターが代わってね」
「ふうん」
由香里の説明に美咲はカウンターの内側でコーヒーを淹れているマスターの姿を目で追う。まだ若い。智仁と同じかちょっと上くらいの年齢だろうか。それにしても変な名前。レインキャッチャーって。
「それで、さっきの話だけどさ。なんで靴なんて買ってもらおうと思ったの? そりゃ高い靴だから欲しいのはわかるけど、履いてしまえばすり減るし、いつかはけっきょくくたびれるし」
由香里の言葉に美咲はうなずく。
「冷静に考えればそうなんだけどね。そのときの私の頭に浮かんだのが、学生の頃から憧れてたブランドの靴だったから」
「で、けっきょくその靴はまだ履いてないんでしょ?」
「うん。箱からも出してない」
白い湯気の立ち昇るコーヒーカップを見つめ、ため息をつく美咲。
「美咲はそれでいいの?」
カップから立ち上る白い湯気は、店のお客さんたちの話し声や、カップとソーサーの触れる音が満ちる空気へと消えてゆく。
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